WGPワークスマシンがオークションに出品されることは数あれど、たいていはコレクターによる放出、あるいは稀にですがマフィアからの押収物が競売にかけられることも。ところが今回は、日本でも知られたビッグネームのジョニー・チェコットご本人による出品です。いったいどんなマシンなのでしょうか。

文: 石橋 寛/写真: RM Sotherbys
▶▶▶写真はこちら|ヤマハ「OW31(YZR750)」とジョニー・チェコット(画像12枚)

2ストローク750ccのモンスターマシン

今から半世紀近く前、世界のロードレース界には、現在のMotoGPをも凌ぐほどの爆発的な熱気に満ちたカテゴリーが存在していました。「フォーミュラ750(F750)」世界選手権は、市販車をベースとしつつ、メーカーの威信をかけたワークスマシンがガチンコでぶつかり合う2ストローク・モンスターたちの主戦場だったのです。

その過激な進化の頂点に君臨し、1978年の世界タイトルを獲得したのが、ご存じヤマハの歴史的ファクトリーレーサー「OW31(YZR750)」。このワークスマシンがオークションに登場しただけでも驚きですが、出品者はなんと当時のワークスライダー、ジョニー・チェコットご本人!

画像: 1978年のF750で世界王者となったヤマハYZR750、ゼッケン4番はワークスライダー、ジョニー・チェコットが乗った実車です。

1978年のF750で世界王者となったヤマハYZR750、ゼッケン4番はワークスライダー、ジョニー・チェコットが乗った実車です。

今回は、このOW31と、同時代を戦ったスズキ、カワサキのライバルたちとの技術的なドラマ、そして天才チェコットのエピソードをご紹介しましょう。

三者三様の技術アプローチ:ヤマハ、スズキ、カワサキの火花散る戦い

1970年代後半のF750において、日本の3大メーカーはそれぞれ全く異なるアプローチで「750cc・2ストローク」という未知のパワーに挑んでいました。

まずカワサキが送り込んだのがライムグリーンの「KR750」。空冷のH2Rから発展した水冷並列3気筒エンジンは、カワサキ伝統の圧倒的な直線スピードを誇りました。しかし、3気筒特有のピーキーな出力特性と、当時のタイヤやフレームの技術がパワーに追いつかないことから、乗りこなすには極めて高いスキルが求められるジャジャ馬というキャラ。

一方のスズキは、市販のGT750をベースとした水冷3気筒の「TR750」で参戦を開始し、その後、WGP500を席巻していたRG500の技術をフィードバックした水冷スクエア4気筒の「XR」シリーズを投入。ロータリーディスクバルブ吸気を採用したスズキのスクエア4は非常にパワフルで、バリー・シーンらのライディングによりヤマハの最大の脅威となりました。

画像: クロモリフレームはTZ750からの転用ではなく、YZR500(0W23)ベースとして、軽量でコンパクトに仕上げられています。

クロモリフレームはTZ750からの転用ではなく、YZR500(0W23)ベースとして、軽量でコンパクトに仕上げられています。

これら強敵に対し、ヤマハの決定打こそ「OW31」にほかなりません。市販レーサーのTZ750が市販車のRD350を2つ繋げたような構造だったのに対し、OW31はWGP500用のファクトリーマシン「YZR500」の軽量・コンパクトな新設計フレームをベースに開発されています。ここに、ピストンリードバルブ吸気の並列4気筒エンジン、ヤマハお家芸のモノクロスサスペンションを組み合わせてOW31は異次元のハンドリングという強力な武器を手に入れたのでした。最終的には150馬力以上に達したパワーを、極めて高い次元でコントロールできる車体構成こそ、ヤマハのアドバンテージだったのです。

画像: ワークス409エンジンは、748㏄から115ps/10000rpm以上を発揮。当初公表された性能ですが、レースを重ねるごとに改良が重ねられたといいます。

ワークス409エンジンは、748㏄から115ps/10000rpm以上を発揮。当初公表された性能ですが、レースを重ねるごとに改良が重ねられたといいます。

画像: ツインショックに比べ、ストロークの長さが増すのがモノクロスサスの大きな特徴。現代のモノショックの先駆けといっていいでしょう。

ツインショックに比べ、ストロークの長さが増すのがモノクロスサスの大きな特徴。現代のモノショックの先駆けといっていいでしょう。

画像: シングルピストンというのが時代を感じさせます。これでレースを闘っていたのですから、想像するだけでもゾクゾクしてきます。

シングルピストンというのが時代を感じさせます。これでレースを闘っていたのですから、想像するだけでもゾクゾクしてきます。

画像: 水温と回転計だけというシンプル極まりないメーター。ハンドルやトップブリッジ、フレームにしても同様で、いかにもレーサーという潔さ。

水温と回転計だけというシンプル極まりないメーター。ハンドルやトップブリッジ、フレームにしても同様で、いかにもレーサーという潔さ。

ベネズエラの天才、ジョニー・チェコットとOW31のシンクロニシティ

このOW31のポテンシャルを120%引き出し、1978年の王座に就いたのが、ベネズエラ出身の天才ライダー、ジョニー・チェコットでした。弱冠19歳で350ccクラスの世界王者となり、名手ジャコモ・アゴスティーニをも脅かしたレーサーです。彼のライディングは、激しくスライドする荒々しさと、恐ろしいほどの正確性を見事に両立。当時のF750は、あまりのハイパワーゆえにリアタイヤが常に悲鳴を上げ、1レースでタイヤがボロボロになる過酷なレースでした。が、チェコットはOW31の優れたシャーシバランスを信頼し、限界領域でマシンを完璧にコントロールしてみせたのです。

画像: スライドコントロールの上手さから「ハイサイドの申し子」とあだ名がついたジョニー・チェコットの実戦風景。

スライドコントロールの上手さから「ハイサイドの申し子」とあだ名がついたジョニー・チェコットの実戦風景。

1978年シーズン、ケニー・ロバーツやバリー・シーンといった歴史的名手たちと火花を散らす中、チェコットはOW31と共に数々の名勝負を繰り広げました。驚くべきは、彼が激しいレースを戦い抜いたそのマシンを、引退後も45年以上にわたって自身のプライベートコレクションとして、ガレージで大切に、当時のまま保管し続けていたということ。

マシンに刻まれた傷や、チェコットの情熱がそのまま閉じ込められたようなその佇まいは、単なる工業製品を超えた「戦友」としての熱い絆を感じさせずにはいられません。

時代の徒花、だからこそ美しい

あまりに過激化したパワーとスピードにより、F750世界選手権は1979年を最後にその幕を閉じました。まさに時代が生んだ「狂気の徒花」だったのかもしれません。

画像: スタートシーンでしょうか、アグレッシブなウィリーがじつに印象的です。前を行く32号車は同じくヤマハのスティーブ・ベイカー。

スタートシーンでしょうか、アグレッシブなウィリーがじつに印象的です。前を行く32号車は同じくヤマハのスティーブ・ベイカー。

しかし、だからこそ、その頂点を極めたヤマハOW31とジョニー・チェコットの栄光は、今なお色褪せることなく、私たちの心を揺さぶるのではないでしょうか。OW31の美しいスタイルを目にすると、当時の乾いた4気筒2ストロークサウンドが耳の奥に蘇ってくるような気がしてなりません。

なお、オークションではワークスマシン、そして世界王者というリザルトがプレミアを呼び、4600万~6300万円の落札価格が予想されています。

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