日本が誇る2輪業界ビッグ4のひとつ、スズキの本社は静岡県浜松市にあります。日本の2・4輪ファンにとってそれは知っていて当たり前の常識でしょう。ただ1991年4月までは、スズキ本社の所在地があったのは同県浜名郡可美村だったのです・・・。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事はウェブサイト「ロレンス」で2025年5月19日に公開されたものを一部編集し転載しています。

新米時代の、スズキ本社の所在地表記にまつわる思い出

自分語りで恐縮ですが、私が某2輪専門誌編集部で働き出したのは今から35年も前の1990年のこと。最初の1年間は、記名で記事作りをするのは編集後記くらい(苦笑)。新人のころの仕事はもっぱら、先輩同僚のお手伝いや読者投稿のリライト、そしてお茶汲み、電話番、郵便物の仕分けなどでした。

そんな新米時代の思い出ですが、スズキからの郵便物に記された所在地を見て不思議に感じたことがありました。4大メーカーのひとつであるスズキの本社所在地は、「浜松市」ではなく「可美村」と記されていました。あんな大企業なのに、村に本社があるんだ・・・と当時素朴に驚いたのです。

画像: 1957年、商工出版社から発行された「国産機械総覧 通商産業省重工業局編」に掲載された、スズキの所在地。浜名郡可美村高塚と記されていることがわかります。

1957年、商工出版社から発行された「国産機械総覧 通商産業省重工業局編」に掲載された、スズキの所在地。浜名郡可美村高塚と記されていることがわかります。

そのことを先輩同僚に質問してみたところ、返ってきたのは「詳しくはわからないけど、スズキのもたらす税金がすごいから、浜松市はずっとスズキ本社のある可美村を合併したくていろいろやってるみたいだけど、可美村はそれに長年抵抗しているらしいよ」という説明でした。

対外的には、浜松市の所在地表記をしたりしていました・・・

同様の話としては、4輪のマツダが広島県安芸郡府中町に本社を置き、税収のメリットなどから府中町が広島市との合併を拒否している例が有名でしょう。可美村は結局1991年5月1日以降浜松市に合併されることになりますが、道路計画と廃棄物処分場の問題を可美村だけでは解決することが難しく、合併に向かわざるを得なかったのがその理由といわれています。

画像: 1959年12月登場の、スズキ コレダ スーパーツーリング250TBのカタログには、本社所在地が浜松市外高塚300・・・と記されていました。

1959年12月登場の、スズキ コレダ スーパーツーリング250TBのカタログには、本社所在地が浜松市外高塚300・・・と記されていました。

彼の地の政治や行政の事情には明るくないので、合併に至るまでどのようなアレコレがあったのかは妄想するくらいしかできないですが、ともあれ1991年5月からスズキ本社の所在地は今に至る「静岡県浜松市中央区高塚町300」になっています。

英バーミンガムや伊エミリアロマーニャ州(モーターバレー)のように、静岡県浜松市は日本2輪産業の聖地として広く世界に認識されています。上述のとおりスズキの「可美村」時代は1990年まで続きましたが、対外的には浜松の企業と認識されていたこともあってか、カタログなどの印刷物には可美村の名前ではなく「浜松市外高塚」の所在地を記していたりしました。

余談ですが可美村は元々浅場村という名前で、大正時代の1914年3月10日に村名変更をして可美村になりました。美しかる可(べ)き村という漢詩文より選定された村名とのことですが、なかなかロマンティックで良い名前だと思います。

画像: かつての可美村、今の浜松市にあるスズキ本社。なお社名については、1920年3月(大正9年)の設立時は「鈴木式織機株式会社」、1954年6月(昭和29年)には鈴木自動車工業株式会社、そして1990年10月(平成2年)にスズキ株式会社と変更されてきました。 www.suzuki.co.jp

かつての可美村、今の浜松市にあるスズキ本社。なお社名については、1920年3月(大正9年)の設立時は「鈴木式織機株式会社」、1954年6月(昭和29年)には鈴木自動車工業株式会社、そして1990年10月(平成2年)にスズキ株式会社と変更されてきました。

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文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)

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