文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事はウェブサイト「ロレンス」で2025年5月13日に公開されたものを一部編集し転載しています。
そもそもは変速機なし、そしてハンドチェンジの時代があったのです
現代のライダーのほとんどは信じられない!! と驚くでしょうが、モーターサイクルが発明された19世紀末から1910年代のモデルは、クランクシャフトと後輪側をダイレクトに接続する方式が多かったです。その後エンジン性能を有効に使うため変速機の搭載が主流となっていきますが、最初に流行った操作方法はハンドシフトであり、現代的なフートシフトが普及するのは1930年代に入ってからの時代でした。

1911年型ハーレーダビッドソン モデル7A。クランクシャフト軸のプーリーと後輪側プーリーが、駆動用革ベルトで結ばれています。ペダルを漕いで、デコンプで圧縮を抜いてエンジン始動。燃料タンク左脇はプーリーベルトテンショナーで、革ベルトの張りを緩めることでクラッチ的な操作を可能にしていました。
en.wikipedia.org1970年代半ばまでに生産された各メーカーの英国車たちが右シフトレバー配置だったことは、古い英車ファンにとっては常識でしょう。その理由はシンプルにそこに配置するのが一番都合良かったから・・・でしょう。古くから英国車はエンジン右側をタイミングサイド、そして左側をドライブサイドに分けていました。
例外もありますがほとんどの古典的英国車の場合、タイミングサイドはサイドバルブ(SV)またはオーバーヘッドバルブ(OHV)のバルブトレイン、ドライブサイドはプライマリードライブ(1次減速機構)という具合に分けていました。ゆえにレイアウトの都合上、ギアボックスのセレクター部は空間に余裕のある右側へ配置するのが最も合理的だったわけです。

英BSAのOHV2気筒を参考に作られたメグロK系をルーツに持つカワサキW1Sは、右にシフトレバー、左にリアブレーキペダルを配置していました。
The Motorcycle Classics archives

英BSAのOHV2気筒を参考に作られたメグロK系をルーツに持つカワサキW1Sは、右にシフトレバー、左にリアブレーキペダルを配置していました。
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戦後急速に発展した日本製モーターサイクルが、左シフトレバー普及の立役者!?
黎明期から戦後間もないころの時代、世界の2輪エンジニアリングをリードしていたのは英国でした。そんな事情もあり、スポーツモデルのトレンドセッターだった当時の英国にならい、欧州や米国のメーカーは右シフトレバーを採用する例がほとんどでした。

1950〜1960年代に活躍した、ハーレーダビッドソンのレーシングモデル「KR」。当時のハーレーダビッドソンも英国流の右シフトレバーを採用していました。
枢軸国のドイツ、イタリア、日本はいずれも、戦後復興期にモーターサイクル産業が盛んとなりますが、最も勢いがあったのは日本でした。1940〜1950年代、当初はおびただしい数のメーカーが日本では生まれましたが、厳しい淘汰の期間を経て1960年代半ばにはメーカーの数はひと桁まで減少することになりました。
戦後誕生した日本のメーカーのなかには、英国車のコピー的モデルを製作する例も多かったですが、生き残ったホンダはNSU、ヤマハはアドラーとDKW、そしてスズキもDKWと、いずれも左フートレバーを採用する当時のドイツ車を模範にしていました(カワサキはメグロ系モデルの多くが英国流でしたが、2ストロークモデルはドイツ流でした)。

1936年型BMW R5のシフトレバー。初号機から今日に至るまで、歴代BMWフラットツインは右側にシャフトドライブ機構を配置していたため、レイアウトの都合上シフトセレクターを左側に配置しています。余談ですが日本でも戦後の時代に大東製機(DSK)、岩田産業(BIM)、丸正自動車(ライラック)などBMWフラットツインをコピーしたメーカーがありましたが、いずれも生き残ることはありませんでした。
www.presstopic.bmwgroup.com1950年代末から生き残り組の日本のメーカーは輸出市場に活路を求めますが、安価かつ高性能で信頼性に優れる日本車は1960年代以降、日の出の勢いで世界の市場に浸透していくことになります。一方でかつての宗主国・・・英国の2輪産業は1960年代半ば過ぎから衰退の道をたどることとなり、1970年代初頭にはBSAが破綻するなど厳しい「冬の時代」を迎えることになりました。
2ストローク単気筒125ccの高性能車として世界で高評価を受けた独DKW RT125は、世界の多くのメーカーにコピーされた名機でした。ヤマハの初号機である1955年型YA-1も、その一例です。
global.yamaha-motor.com左シフトレバー標準化の決め手は、1975年のアメリカの法改正でした
1970年代に入ると、日本車以外のモーターサイクルに触れたことがない・・・というライダーが世界でも珍しくなくなってきます。ホンダスーパーカブ系のような小型コミューターから、ホンダCB750FourやカワサキZ1のような高性能スポーツ車まで幅広くラインアップする日本が、名実ともに2輪界のリーダーになったのがこの時代といえるでしょう。
1970年代半ばまで、BMWを除く欧州のメーカーは依然右シフトレバーのモデルを米国市場に輸出していましたが、米当局は左シフトレバーと右シフトレバーという、異なる操作方法のモーターサイクルが市場に混在する状況は乗り換え時に混乱をまねき、事故の危険性が増すおそれがあると考えるようになりました。
そしてNHTSA(U.S. ナショナル ハイウェイ トラフィック セーフティ アドミニストレーション=米国運輸省道路交通安全局)は「FMVSS(フェデラル モーター ビークル セーフティ スタンダード=連邦自動車安全基準)ナンバー123」を導入。1975年1月以降、米国で販売される新車のモーターサイクルに「左シフトレバーであること」を義務付けるようになったのです。

1981年、チャールズ皇太子(当時)と故ダイアナ妃の結婚を記念して作られたトライアンフ ボンネビルT140LE ロイヤル ウェディング。チェーン式プライマリードライブの真ん中の空間を利用し、元々右シフトレバーだったトライアンフOHVツインを左シフトに改めています。
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つまりこの法改正が、左シフトレバーの標準化の決め手となったわけです。大きなモーターサイクル消費国である米国市場を無視するわけにはいかないので、右シフトレバーを採用していた欧州のメーカーたちは、ドイツ流・・・当時すでに日本流となっていた左シフトレバー採用に方針転換することになりました。そして今日の、左シフトレバー一般化の時代に至るわけです。
いかがでしょうか?(←この評判の悪い、各種ウェブコンテンツでお馴染みのフレーズ、一回使ってみたかったのです)。近年はホンダのDCT採用車など、シフトレバーを持たないモデルも増加しています。ただ、変速操作もモーターサイクルライディングの楽しみのひとつと主張するライダーはいなくならないでしょうから、左シフトレバー時代はこれからも長く続いていくのでしょう。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)