文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事はウェブサイト「ロレンス」で2025年5月8日に公開されたものを一部編集し転載しています。
1980年前後のサスペンション変革期に生まれたメカニズム
今日のモトクロスの世界ではリア1本ショックは当たり前のメカニズムになっていますが、それらが一般的になったのは1980年代のことでした。リア2本ショックが「標準」だった1970年代、世界中のメーカーや発明家はより良いロードホールディングや衝撃吸収性を追求して、次世代の標準となるサスペンション開発に取り組んでおりました。
当時のスズキが出した解答が、「フルフローター サスペンション」でした。1980年よりスズキは米AMAに参戦するファクトリーのケント ハワートンのモトクロッサーにこの機構を採用。フローティング(浮動)構造を持つこの機構は実ストロークを大きくできることから、ロードホールディングの向上、快適な乗り心地、優れた操縦安定性などを実現していました。

1981年型スズキRM250。ファクトリーモトクロッサーに採用されたフルフローター サスペンションが与えられた、初の市販モトクロッサーです。なおスズキ製公道量産車で初めて同機構が与えられたのは、1982年のデュアルパーパスモデルであるDR250Sでした。
www.suzuki.co.jpその後フルフローター サスペンションは、スズキのロードレース用ファクトリー車や市販モトクロッサー、そして公道用量産車に次々と採用されることになります。リア2本ショックのレイアウトに対し、フルフローターは車両中央へのマス集中化、ベルクランク(リンク)を利用することで生まれるプログレッシブレート効果、そしてショックの上側マウントがフレームに接していないことから、路面からの衝撃をフレームに激しく伝達することがない・・・などがその大きなメリットでした。

1983年発売のスズキRG250Γに採用された、フルフローター サスペンション。フレームに接続されるのは赤丸で示したスイングアームピボットと、ベルクランク中央の2軸のみ。1本ショックの上下マウントは、フレーム側と直接接続されないのが大きな特徴です。
www.autoby.jp1986年型の市販モトクロッサーから、スズキは「E-フルフローター サスペンション」という新機構を採用。Eはエクセレント(優良)を意味していますが、アメリカ市場では商標の関係かフルフローターの名が使われ続けていたようです。
ともあれ結果として、国際レベルのモトクロスイベントで数々の実績をあげ、量産市販公道車にも数多く採用され高評価を受けていたフルフローター サスペンションですが、市販モトクロッサーの分野ではわずか1981〜1985年という短期間の採用に終わってしまったのです・・・。

1986年型のRM125/250に採用された新型リアサスペンション、E-フルフローターを紹介するアメリカ市場向けカタログ。軽量化のため従来型から多くの部品を廃止。よりスムーズでプログレッシブな作動を実現するエキセントリックカムと組み込むことで、全体的な乗り心地と操安性が向上した・・・と各種メリットが得られていると誇らしげに謳われていました。
その原案を生み出したのは、当時まだ10代のアメリカの若者でした・・・。
1978年10月、スズキはフルフローターを生み出す過程でひとりのアメリカ人とライセンス契約を締結しています。そのアメリカ人とは19歳だった1974年に新しいサスペンション機構を発明し、その特許を出願したドン リチャードソンでした。
若きリチャードソンは、熱心なオフロードバイク愛好家でした。彼は競技用4輪車のサスペンションから着想を得て、1本ショック、ベルクランク、コンロッドから成る2輪用リアサスペンションを考案。自身が所有するヤマハ製125ccモトクロッサーにそのアイデアを元にした改造を施し、その効果がいかに素晴らしいものかを確認したのです。

1974年に出願され、1975年に発行されたリチャードソンの特許に描かれた構造図。スイングアームに取り付けられたロッドがベルクランクの一方を押し、ベルクランクのもう一方がショックの上側を押す構成になっているのがわかります。
patents.google.comホンダを除く日本の3メーカー・・・ヤマハ、カワサキ、スズキはリチャードソンと接触し、彼の発明に興味を示しました。そしてスズキは1978年10月に、リチャードソンとオプション契約とライセンス契約を結びました。この契約によりスズキは、リチャードソンのサスペンションをテストおよび評価する独占的権利と、リチャードソンの特許と彼独自の技術情報やノウハウなどを取得する権利を得たのです。

路面の変化による後輪の動きに応じ、ベルクランクによってライジングレートが生まれることを示すグラフ。サスペンション作動初期は乗り心地が良く、大ジャンプ後など高負荷がかかったときは危険な底付きを防止する・・・これは今日多くのライダーが知る、リンク式サスペンションのプログレッシブ効果と呼ばれるものです。
patents.google.comリチャードソンは1979年初頭、改良型のサスペンション図をスズキに提出。「オルターネート ショックマウント」と名付けられたこの改良型の特徴は、ショック下側が最初の特許に描かれている図のようにフレームにではなく、スイングアーム側に取り付けられている点でした。このオルタネート ショックマウントこそ、フルフローターの原型と呼べるアイデアといえるでしょう。
同年5月にはオルタネート ショックマウントを1978年型スズキ量産モトクロッサーに与えた試作車がテストされ、テストライダーから高評価を受けています。スズキは同年10月に日本で、そして1980年10月には米国でスズキが開発した機構として、後にフルフローター と呼ばれることになるサスペンションの特許を出願しました。そして1979年12月にスズキは、リチャードソンに対してオプションを行使しないことを通知したのです・・・。
アメリカの若き発明家と、日本の大メーカーの裁判の結果は・・・
1982年にリチャードソンはスズキ本社とU.S.スズキ、そしてカワサキ、ヤマハなどに対し、特許侵害訴訟を提起。対するスズキはリチャードソンの特許の無効性を主張し、リチャードソンを詐欺および契約違反を理由に反訴しました。
ちなみにヤマハとカワサキはリチャードソンと法廷で争うことはせず、リンク式サスペンションを採用する製品について彼の特許をライセンスすることを決めました。非公開の和解金は莫大ではなかったそうですが、20代の若者が日本の大メーカーであるスズキと法廷闘争するには十分な額だったとリチャードソンは自身の著書に記しています。
裁判は長期化しましたが、1987年にリチャードソンの勝利に終わりました(1989年に再審理却下)。当時スズキはフルフローター サスペンション採用車を世界各国の市場で数多く販売していましたが、1台ごとにロイヤリティー(特許権使用料)を支払うということで、賠償金は1,900万ドルという高額なものになったのです!

『An Inventor's Life: The Story of a Teenage Inventor Who Changed Motorcycles』(ひとりの発明家の人生:モーターサイクルを変えたひとりの10代の発明家の物語)は、ドン リチャードソンが独自のサスペンション開発、スズキとの裁判、そしてその後・・・を綴った自伝です。もちろん? 英語文ですが、Kindle版もありますので興味ある方はぜひ読破にチャレンジしてください。
www.amazon.co.jp現代のモデルにも息づく、リチャードソンが描いた"アイデア"
リチャードソンとスズキの裁判は、特許侵害をすることなく新しい何かを生み出すことの難しさを示すエピソードの好例といえるでしょう。ではその後、「リチャードソンのアイデア的」というか「スズキ フルフローター的」な構成を持つリアサスペンションは生まれていないのか? といえばそうではありません。
スイングアームピボットの1軸と、そのほかの1軸以外はフレームと接続されていないというリチャードソンの「オルタネート ショックマウント的」なアイデアを採用するサスペンションには、1980〜1990年代のドゥカティスーパースポーツ用サス、MotoGP用RC211V用に開発されたホンダのユニット プロリンク、そしてBMWのフルフローター プロなどがあります。

2004年型ホンダCBR1000RRの「ユニットプロリンク」。
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2021年型のBMW M1000RRに採用される「フルフローター プロ」。
www.autoby.jp2本ショック→リンク式1本ショックが標準となり久しいですが、リアサスペンション構成の最適解を求める試みはずっと止まることなく続いています。リチャードソンの発明を超えるアイデアが、今後生まれることを期待したいですね。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)