1972年から始まった、カワサキ・Zの歴史。その嚆矢となったZ1と翌73年に国内で旋風を巻き起こしたZ2は、優美なスタイルと圧倒的な走行性能でトップの座に君臨する。それから50年、世代を超えて今も愛され続けるZの魅力とは何なのか。青春時代をZ2と共に過ごした宮崎敬一郎が語る。
以下、文:宮崎敬一郎/写真:瀬谷正弘

速くて上質で美しく誰もが恋焦がれたZ(文:宮崎敬一郎)

画像: Kawasaki 750RS Z2 1974年/A2 「火の玉」カラーで国内デビューを果たした翌年の1974年。Z2A型に採用された新たなグラフィックは「ウリ坊」「タイガー」の愛称で親しまれた。宮崎氏が学生時代に購入したZ2もこのカラーだ。(写真:瀬谷正弘)

Kawasaki 750RS Z2
1974年/A2

「火の玉」カラーで国内デビューを果たした翌年の1974年。Z2A型に採用された新たなグラフィックは「ウリ坊」「タイガー」の愛称で親しまれた。宮崎氏が学生時代に購入したZ2もこのカラーだ。(写真:瀬谷正弘)

1972年にデビューした900スーパー4「Z1」は、圧倒的なハイパワーと完成度の高い走りで、瞬く間に世界を席巻した。その国内仕様が750RS「Z2」だ。

この兄弟モデルが日本や世界で人気を博した理由は、ただ速かったからだけではないと思っている。そのフォルムそのものがスマートで優雅だったことも挙げていいだろう。

初代Z系のデザインDNAを受け継いだゼファーシリーズがベストセラーになったのもそうだが、現在のZ900RSも、こうしたZ1デザインをしっかり取り込んでいる。これが時代を超えてZが受け入れられている大きな理由だ。

デビュー当時、初めて間近で見たZ2は、それまで見たことのあるどんなバイクよりも美しかった。滑らかな曲面が繋がったタンクは、底なしの深みがあるメタリック塗装。フェンダーなどのメッキも分厚くてツヤツヤしていた。巨大なエンジンにかぶさるように左右にはみ出た丸いタンクは大排気量車の証だが、そのカタチには艶っぽさまであった。ぎゅっと絞られたタンクエンドからシート、テールカウルにかけての流麗な姿は、マッハより遥かに上品で迫力と美しさが同居していた。

黒いエンジンも個性的だった。750になってもクラス最強スペックを誇るそれは、猛烈に厳つくて力強く思えた。免許も取れない小僧の目にさえ眩しく見えたくらいだ。当時のライダーたちにそのルックスや動力性能がどう映ったか、想像に難くないだろう。

画像: 速くて上質で美しく誰もが恋焦がれたZ(文:宮崎敬一郎)

ボクが免許を取れるようになった1975年でもZ2は国内最強最速だった。相変わらず大人気で、中古車も引っ張りだこ。火の玉のA1、タイガーのA2ともに、中古車の価格は他の750より高いことが多かったように思う。
 
当時まだ高校生だったボクが最初に手に入れたZ2は、この写真と同じA2型。オイル上がりを起こしていて、走行距離も伸びていたからか、破格のプライスが付いていた。もちろんエンジンを弄るつもりで納得して買った。

無謀にも超ビギナーが当時最速の大型車を走らせることになったわけだが、そんな若者でも普通に使えてしまう扱いやすさがZにはあった。世界中でライダーが憧れたのも解るだろう。

また、Zを越えるライバルがどんどん登場しても、Zの人気はあまり衰えなかった。これは世界的なもので、豊富なチューニングパーツを投入することで無敵のパワーを手に入れられたから。峠道でも、レースでもZはモンスターであり続けられたのだ。

Z1/Z2はその美しさとタフさ、速さでバイク界を席巻した。そして驚くほど長期間、世界トップレベルの強さを発揮し、高い人気を維持したのだ。まさに名車である。

文:宮崎敬一郎/写真:瀬谷正弘

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