文:太田安治/写真:松川 忍/車両協力:モーターサイクルドクターSUDA
※この記事は2015年6月15日発行の『東本昌平RIDE97』から一部抜粋し、再構成して掲載しています。
画像: Honda MONKEY Z50M 1967

Honda MONKEY Z50M 1967

【ショートストーリー】初めての、小さい相棒。冒険の、はじまり(太田安治)

カシュッ、カシュ、カシュルルルル……。「あ~もう! いいかげんに目を覚ませよ、チビ猿め!」

もう何回キックしただろう。足の裏もふくらはぎもジンジンするし、部屋の中はガソリンの臭いが漂っている。

* * *

16歳の誕生日に高校をサボって免許を取り、毎日友人や先輩のバイクを借りて放課後から夜中まで乗り回した。原っぱを走り回ってジャンプや逆ハンを覚え、クラッチワークが上手になると似たような排気量のバイクにシグナルGPを挑んだ。

早く自分のバイクが欲しい。とはいえ親に無断で買うわけにもいかない。父親は若い頃にハーレーだのトライアンフだのを乗り回していたからうるさいことは言わない。問題は、父親が転んで怪我するたびに心配と手間をかけた母親。いきなり大きなオートバイを見せたら「単車は危ない! 絶対だめ!」と即座に却下される。

そうだ。幼なじみのヒカル兄ちゃんが学生のときに乗っていた、モンキーとかいう名前のちっこいバイク。兄ちゃんは社会人になって自動車に乗り換えたから用済みだろうし、誰がどう見ても暴走族ともスピード狂とも思わない。まずはあいつで母親の首を縦に振らせて、それから徐々に……。

* * *

兄ちゃんの好物の鯛焼きを3個買って家に行く。

「もう4年ぐらい乗ってないんだ。きっと動かないけど、それでいいならあげるよ。ただし文句と返品はいっさい受け付けないからね」

兄ちゃんが鯛焼きを頬張りながらガレージのシャッターを開ける。「ケンメリ」と呼ばれているスカイラインGTクーペが眩しいくらいに輝いている。このケンメリに色っぽい彼女を乗せ、ユーミンの曲をでっかい音で流しながら走る姿は何度も見かけた。

「あそこで毛布かぶってるのがモンキーだよ。正しくはゼット50エム、だっけな」

あいつは隅っこの薄暗い場所に小さくうずくまっていた。

画像1: 【ショートストーリー】初めての、小さい相棒。冒険の、はじまり(太田安治)

もしかして変な虫が巣を作ってるかもと、少しビビりながらボロ毛布を外す。舞い上がった大量の埃が薄れ、白いタンクと赤いフレームがクッキリ見えた。だけどハンドルがおかしなカッコになっているし、前後タイヤは空気が抜けてペッタンコ。チェーンも赤く錆びている。このチビ猿、死んでいるのか、眠っているのか。

兄ちゃんが左右のハンドルを起こしてノブをグリグリと回し、シートをガチョン!と引き上げたら見覚えのある姿になった。

「タンクキャップのレバーをONにして、ガソリンコックとキャブのチョークレバーをOPENにしてからキックするんだ。慣れれば一発だよ」

兄ちゃんの気が変わらないうちに、急いで町内会のリアカーを借りて自宅に持ち帰る。

「モンキーは小さくて軽いから、乗用車にも簡単に積めるんだぜ」と先輩が言っていたので、自分の部屋に持ち込んで整備することにしたが、玄関への階段を5段上げただけで後悔した。確かにちっこいけど、生意気に重い。前後タイヤを一段ずつ引きずり上げるだけで汗だく。ひとりでクルマのトランクに入れるなんて、プロレスラーでもなきゃ不可能だ。

* * *

「ずっと動かしてなかったバイクのエンジンを掛けるときは、ガソリン入れ換えてバッテリーも充電しなきゃダメなんだ。キャブレターの中も掃除したほうがいい」と教わっていたから、タンクの中で甘ったるい匂いになっていたガソリンを捨て、オヤジのクルマから灯油ポンプで抜いたガソリンを入れる。バッテリーは最初から付いていないし、キャブレターは自分の知識じゃ何もできない。

ひたすらキックペダルを踏み下ろし続けても、エンジンはプスンとも言わない。部屋の前を通りがかったオヤジが、「なんだ、オモチャみたいな単車だな。それがお前の最初の愛車ってわけか」と笑う。「掛からないんならプラグを外してみろ。先っぽが湿ってたら火で焼いて乾かしてからヤスリで磨くんだ」と言って去っていった。

外した点火プラグの先端はベッタリ濡れガソリン臭い。プライヤーでつまんでガスコンロの炎で焼き、冷めたところで紙ヤスリをふたつ折りにして電極をゴシゴシと磨く。

キック、キック、キック! やっぱりダメかと諦めかけたとき、カシュルル……の後に『ポヘッ』と間抜けな音がして、ストローみたいなマフラーの先っぽから白っぽい煙がホヨンと出た。冬眠から覚めかけの動物が欠伸と屁を同時にしたように。ん、猿って冬眠するんだっけ?

もう一度ガソリンコックとチョークレバーの位置を確かめ、深呼吸してから勢いよくキック。モモモンッ……と眠たげな音とモクモクの煙を吐き出すけれど、何とか止まらずにアイドリングしている。チョークを戻すと少しずつ煙が消え、排気音も元気になった。

「掛かった! いや、起きたあ!!」

目を覚まして身震いしている小さなモンキー。

「あんたが新しい飼い主なの?」と聞かれた気がした。

車体を隅々まで掃除し、見違えるほどキレイになったところで、ドキドキしながら母親に見せる。

「あら、ずいぶん可愛いバイクね。気を付けて乗りなさいよ」

おや、あっさりOKか。気を揉んで損したな。

* * *

家から学校までは3km弱。自慢の15段変速自転車で15分だから、バイクなら5分かな、なんて思ってたら甘かった。自転車なら一方通行も信号もばんばん無視しちゃうけど、バイクだとそうはいかない。捕まって反則金払うなんてまっぴらだ。

しかも、どこか具合悪いのか? と思うほど不安定。道路の凸凹で車体がピョコピョコ跳ねるし、30km/h以上出すと真っ直ぐ走らせるのも難しい。ウインカーがないから交差点の手前で手信号を出さなきゃいけないけど、片手運転なんて到底無理。

「もうちょっと落ち着け。チビ猿め」

結局、学校まで15分。途中の坂道は楽だったけど、楽に速く通学するという目論見は大外れだ。

バイク通学は禁止なのに、ぬるい校風に付け込んで何十台ものバイクが校舎裏の塀沿いに並んでいる。どこに停めようかと迷っていると、Z2に乗った同級生がヨシムラ集合管の音を低く響かせながらやってきた。こいつは学校で一番早くゼットツーを買って注目されて以来、自分が同級生バイク乗りのリーダーだと思っている。ヘルメットを脱ぐと同時にバックミラーをのぞき込み、クシで髪を直しながら言う。

「モンキーか。通学にはいいんだろうけど、スピード出ないしさ、遠くにも行けないじゃん。こんなのじゃ俺らとは一緒に走れないな。もっとちゃんとしたオートバイにしろって」

なんだよ。速くて遠くに行けなきゃオートバイじゃないのか、ムッとしていたら、裏門から竹刀を持った体育教師がのっそりと出てきた。

「んっ! そのバイク、お前のか? それで通ってるのか?」

剣道部顧問の体育教師は、すぐ竹刀でぶっ叩くことで恐れられている。さすがにやばいぞ、この場面は。

「そんな小さいバイク、道端に置いといたら盗られちまうぞ。あっちに置いとけ」

竹刀で指したのは職員用の駐車場。えっ、いいの?

「置かせてやるが、その代わり……」

うへぇ、防具なしでの面打ちは勘弁してくれよな。

「マラソンの授業の時に貸してくれ。ちょっと腰を痛めててな、自転車で先導するのが辛いんだ」

4時間目の始まりに担任の数学教師が出欠を取っていると、廊下側から「おい、オータ、オータ……」と小声で呼ぶ声が聞こえる。教室後ろ側のドアが20cmほど開いていて、その隙間から体育教師のゴツイ右手が伸び、手のひらを差し出している。教師が出席簿に視線を下げたタイミングでキーを渡すと、ゴツイ手に似合わない丁寧さでドアを閉めた。

窓から見下ろす校庭には、体操着の生徒が並んでいる。そこに体育教師が颯爽と、ではなくヨタヨタとモンキーに乗って現れた。生徒たちは指をさして大爆笑だ。185cmの大男がモンキーに乗る姿はまるでサーカスの熊だから無理もない。

「よっしゃ、今日のマラソンは特別サービスで校舎10周! 俺のマッシーンに付いて来い!」

自分が楽できるからって勝手なこと言ってるなあ。生徒たちは半分ふて腐れながら、サーカスの熊よりも下手な運転の教師に続いてゾロゾロと校門を出ていった。

画像2: 【ショートストーリー】初めての、小さい相棒。冒険の、はじまり(太田安治)

昼休み時間。いつもは校舎裏にバイク仲間が集まるが、今日は職員用駐車場が賑わっている。仲間たちが新顔のモンキーを見に来たのだ。

「お子様サイズだな」
「ウチの秋田犬ぐらい」
「相撲取りが乗ったらペチャッて潰れるぞ」
「便器に跨っているようですな」

褒められている気はしないが、なぜかモンキーを囲んでいる全員が笑顔だから不思議だ。

「私にも乗れるかな……」

後ろから囁くような声がした。振り向くとセーラー服の女子が申し訳なさそうに立っている。服装自由の校則なのにセーラー服を着ているのが不思議で顔は覚えていたが、クラスが違うので話したことはない。

バイク仲間たちは呆気にとられている。そりゃそうだ。油臭いバイク乗りと清純女子生徒が一緒にいるなんて、初めて酢豚に入っているパイナップルを見たとき以上の違和感だ。

「あ、突然ごめんなさい。私、A組の藤本カオル。オートバイに興味があって原付免許を取ったんだけど、まだ乗ったことなくて」

そう言って嬉しそうに生徒手帳に挟んだ免許証を見せてくる。目の前の彼女は三つ編みだけど、髪を下ろした顔写真はずいぶん大人っぽくてドキッとするほど美人だ。

「だったら俺のバイクに乗せてあげるよ。ゼットツー、知ってるでしょ。こんなオモチャみたいなのじゃなくてバリバリのナナハン。午後の授業なんかフケてさ、原宿の喫茶店まで飛ばして行っちゃおう。決まりね!」

いつの間にか現われやがったZ2野郎。いいから、バックミラーのぞき込んでクシ使いながら話すのをやめろ。

「私、自分で運転したいの。さっきマラソンで先生が乗ってるのを見てて、これなら小さいから乗れるかなって。それに、知らない人の後ろに乗るのは嫌だし」

うん。カオルちゃんがモンキーに乗れば絶対に可愛い。サーカスの熊とは大違いだ。Z2野郎はマンガのように口をポカンと開けたまま固まっている。ここまで正面から拒絶されたことがないのだろう。

「じゃ、放課後に校舎の裏で。あ、セーラー服はまずいかな。体操着かジャージに着替えてきて」

午後の2時間はあっという間だった。カオルちゃんにどうやって乗り方を教えようか。そればかり考えていた。

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