文:太田安治、/写真:松川 忍/車両協力:アルテミスモーターサイクル
※この記事は2015年3月14日発行の『東本昌平RIDE94』から一部抜粋し、再構成して掲載しています。
画像: Honda CBR900RR (写真は1999年式)

Honda CBR900RR (写真は1999年式)

【ショートストーリー】答えはひとつじゃない。変わることができるから、おもしろい。(太田安治)

何の予定もない休日だというのに、ずいぶん早く目が覚めた。タバコに火を点けながら西側の窓を開けると、関東平野にどすんと陣取った富士山が白く光っている。横に並ぶものもない孤高の姿。その大きさに比べると、自分の悩み、存在そのものさえ火山灰のひと粒ほどでしかないように思える。

もっと近くで富士を見たい。山体が纏っている空気を吸いたい。バイクだ。今日はバイクで行こう。

* * *

自分が勤めるバイク販売店は、今の社長の父親の代から続いている。高校生の頃にTZR250を買ってから客として出入りし、大学に進んでからは週末に欠かさず顔を出して整備技術を教わり、そのままメカニックとして働きだした。

20坪ほどの店の中には売り物と修理待ちのバイクが十数台。一番奥にはスクリーンにTシャツをかぶせたホンダRVF/RC45のレーサーがある。

峠小僧だった自分が、店を母体にしたチームに入ってロードレースを始めたのは自然な流れで、助け合い、刺激し合える仲間が大勢いたおかげで、さしたる苦労もなくジュニア、国際A級へと昇格した。ここ数年は全日本選手権のスーパーバイクレースを走ってきたのだが、今年はどうなるのか。

RC45は去年の最終戦からずっとレーシングスタンドに支えられたままで、HRCキットパーツのアルミタンクには薄く埃が積もっている。3月に入って開幕戦の準備に掛かる時期だが、手を付ける気にはなれない。

走り続けるのか、降りるのか。

もう半年近く考えている。

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80年代中盤以降はロードレースブームにバブル景気が重なり、サーキットは異様な熱気に包まれていた。直接オートバイ文化に関係のないタバコや清涼飲料、コーヒー、カメラ、食料品、航空会社、さらには化粧品にコンピューター会社などもブースを出して販促活動を行ない、観客席もパドックも超満員。派手なスポンサーカラーに塗られたマシンがグリッドを埋め、ハイレグレオタードのキャンギャル達がピンヒールの靴音を響かせながら闊歩する。

トップクラスのライダーは芸能人のように扱われて「追っかけ」と称する女性達がピットに押し掛け、チューナーやメカニックもカリスマに祭り上げられた。

何か違うと感じながらも、レース関係者の多くは居心地の良さに満足し、疑念を封じ込めていた。

大手広告代理店に社長の同級生がいた縁で大きなスポンサーが付くと、チーム監督でもある社長は迷わずスーパーバイクレースへの参戦を決めた。RC45とHRCのキットパーツ、レース用のサスペンションやブレーキ、ホイールまでを含めたマシンの製作費は1000万円近かったが、このクラスでは驚くような金額ではない。準ワークス扱いチームのマシンはその2倍は掛かっていたし、ワークスチームのマシンならもうひと桁違う。だが、つい数年前まで中古の250ccレーサーレプリカで峠道を走り回っていた自分には、プライベート用のマシンでも宝石のように輝いて見えた。

素晴らしいマシンを託された自分は速く走らせることに必死だった。がむしゃらにコーナーに突っ込んで暴れるマシンをねじ伏せて曲がる、という素人目に派手なライディングスタイルはタイムアップには逆効果。車高を数ミリ変えるだけで別物に感じるほど繊細なマシンをコースに合わせてセットアップし、前後タイヤのグリップ状態をセンシングしながら丁寧に扱えるようになると、徐々にタイムは縮んだ。

だが、タイムを削り取ると同時に、楽しさも削られていった。

レーシングマシンに楽しさなど必要ない。乗りにくかろうが、疲れようが、スタートからゴールまでのレースタイムがコンマ1秒でも短ければいい。カウルがぶつかるような競り合いの最中でも、タイヤの状態を分析しながらゴールまでのペース配分を考える。マシンのご機嫌を損ねないようにライダーが寄り添う感覚。想定以上のタイムや成績が出れば嬉しいが、そこにバイクに乗り始めたころの、心の奥底から湧き出してくるような楽しさはない。

それでも華やかな舞台の上で走っているという充足感が自分を支えていたが、スポンサード資金を広告宣伝費として計上していた企業はバブル崩壊を期に潮が引くように撤退し、90年代中盤になると活動縮小や休止に追い込まれるチームが増えた。

社長は口にしないが、自分のチームもメインスポンサーの撤退に加えて肝心のバイク販売台数が激減しているのだから、これまでのように全日本に加えて鈴鹿8耐にも出場することは難しいはずだ。この先は、見えない。

* * *

走り続けるのか、降りるのか。

RC45に積もった埃を息で吹き飛ばしながら、何度も頭の中で繰り返す。

* * *

「おっ、定休日だってのに早朝出勤ご苦労だな。ヨンゴーの整備を始めるのかい?」

振り向くと、いつの間にか後ろに社長が立っていた。

「今日はお客さんと温泉ツーリングのはずじゃ?」
「昨日の晩にギックリ腰になってピクリとも動けないんだとさ。まったく、歳は取りたくねえもんだな。で、急に暇になっちまったから、親爺のバイクのレストアでもしようってわけだ」

パーツ倉庫の隅には先代社長が乗っていたホンダのCB72とヤマハのYDS3がある。息子である今の社長が初めて乗ったバイクもこのCB72だと聞いている。

「こいつらに乗っていたときは楽しかったなあ。ただ走るだけで満足だった。YDSに比べるとCBでうまく曲がるにはコツがあってな。これを体で覚えるのがまた……。いや、現役レーサーのお前には釈迦に説法か」

自分も峠を走っていた頃は、コーナーが目の前に現われるたびにワクワクした。ライディングとバイクの反応を体で覚え、思いどおりにバイクを操るのが楽しかった。レースだってその延長で始めたはずなのに。今はRC45を見ると息苦しくなる。

* * *

「あの、箱根あたりを走ってきたいんですけど、社長のバイク、借りていいですか?」
「ほう、珍しいな。お前がツーリングなんて。どういう風の吹き回しだ?……いいよ、行って来い」

社長は笑いながら99年型CBR900RRのキーを投げて寄こした。

もう何年もバイクでの遠出はしていない。大学時代に買ったTZR250をレース仕様に改造して以来、下取り車のポンコツ小型スクーターが足代わりで、都内から出ることさえなくなっていた。

念入りに暖気してからCBRのアクセルを大きくあおると、極低回転からでも鋭く反応する。輸出仕様車らしく吸排気音は太めだが、自分のレーサーに比べれば静かなものだ。130馬力の最高出力に180kgという車重。これで150万円以下だというから、スペック的には大差ないRC45と比べると信じられないくらいに安い。

「俺がそいつに乗るとな、コーナーで笑っちまうんだ。どんなコーナーだってスイスイ曲がるから、自分の腕が上がったように思えてな、ヘルメットの中でニヤニヤだよ」

作業ツナギに着替えた社長は、レーススタート前のグリッドでやるように、ピンと親指を立てて見せた。

「迷わず走れ!」の合図だ。

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画像1: 【ショートストーリー】答えはひとつじゃない。変わることができるから、おもしろい。(太田安治)

東名高速から小田原厚木道路へ。覆面パトカーや白バイの多いルートにも関わらず、凄まじい勢いで飛ばすバイクが次々に抜いていく。レース中なら目を吊り上げて追いかけるところだが、今はそんな気分にならない。徐々に迫ってくる富士の姿を眺めながら、走行車線を淡々と走る。

CBRの並列4気筒エンジンは振動もなく綺麗に回っていて、タコメーターの針はメーターパネルの左下のほうでじっとしている。

こんな乗り方をしたことなかった。レース中にここまで回転が落ちることはないし、針はレッドゾーンの近くで忙しく踊っているのが常だ。ハンドルを握る力も、ステップを踏む力もほとんど使っていない。グライダーのように滑空しているようだ。バイクにこんな感覚があったのか。

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箱根ターンパイクに入り、最初の急な上り直線でフル加速。回転上昇はスムーズだが、想像以上に速い。排気量がRC45よりも150cc以上大きいだけに、低中回転域トルクが太く、4速までなら自分のレーサーより速いかもしれない。

左コーナーの長い橋を渡ったところにある駐車場に入り、グローブを外してタイヤ表面に触る。人肌の暖かさ。タイヤウォーマーでもっと暖めたいが、公道用タイヤだからそこまで神経質になることもないだろう。タコメーターにしろタイヤにしろ、レースが基準になっている自分が可笑しかった。

一服してからヘルメットをかぶっていると、ヤマハのOW‐01・FZR750RとアプリリアRS250Rの2台が駐車場を使ってUターンし、再び大観山方面へ向かおうとしている。ふたりとも革ツナギに小さなウエストバッグという姿。レースを始める前の自分の姿が重なる。2台に続いて駐車場を出た。

ターンパイクは長い直線や高速コーナーが多い日本には珍しいタイプのワインディングだが、ふたりとも走り慣れているのだろう。見通しのいいコーナーでブレーキングからフルバンク、脱出加速までを大胆にこなすかと思えば、ブラインドコーナーではしっかりラインを絞ってインベタで抜ける。観光道路だけに、景色に見とれたファミリードライバーがセンターラインを割って対向車線に入ってくることを計算に入れた走りだ。

2台から距離を置いて追走する。直線部分ではOWがRSを一気に引き離すが、ブレーキングやタイトターン区間でRSが距離を詰める。2台が大きく離れることはなく、ペアダンスを踊っているように見える。

一定の距離を保つつもりが、少しずつ接近していた。路面に突き刺さるようなハードブレーキングやリアがスライドするようなアクセルワークはしていないのに、CBRのアベレージスピードは自分が思っている以上に速い。コーナーアプローチではサスの動きやステアリング舵角を意識せず、バイクなりにバンクさせるだけで素直に向きが変わり、立ち上がりでは前後タイヤが協力して旋回する。

社長が言っていたように、何事もなくコーナーをクリアしてしまう。蝶が花から花へと飛び回っている感覚。峠に咲く花がコーナーで、自分とCBRは蝶か。柄にもなくそんなことを考えたら、つい口元が緩んだ。楽しい。バイクってこんなに楽しかったんだ。

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