日本全国、至る所に当たり前のように建っている神社。普段見ているその建築物は、いつ頃からそこに存在していたのだろうか。
今回訪れたのは、多くのバイク乗りが訪れる秩父エリアの「聖神社」。寒かった冬が終わり、新緑が眩しい春の秩父往還を疾走ります。
※この記事は月刊オートバイ2018年6月号で掲載したものを加筆修正しております。

みんなの願いはただ一つ!

関越自動車道を降りて、国道140号線を秩父市街地へ向けて疾走ります。

画像: 次の目的地まで、わざと遠回り。地図を見て、カーブが続いているところへ。思った通り、楽しく疾走れる道に出会えました。

次の目的地まで、わざと遠回り。地図を見て、カーブが続いているところへ。思った通り、楽しく疾走れる道に出会えました。

すると「和銅遺跡」と書かれた大きな看板が見えてきました。

気になるのは、その文字の下に描かれた「お金」の絵。その看板につられる様に次々と車やオートバイが吸い込まれていきます。

今回の神社拝走記で訪れたのは、埼玉県秩父市に鎮座する聖神社(ひじりじんじゃ)。

画像: 聖神社 埼玉県秩父市黒谷2191 今から1000年以上も昔。西暦708年、この場所で日本初の銅が発見されました。当時は、元号を「和銅」に変える程の衝撃だった様です。それを元に鋳造されたのが、かの有名な和同開珎。時の天皇は喜び、銅が発見された山ごと祀らせたそうです。それがこの場所で、現在の聖神社周辺だと言われています。

聖神社

埼玉県秩父市黒谷2191

今から1000年以上も昔。西暦708年、この場所で日本初の銅が発見されました。当時は、元号を「和銅」に変える程の衝撃だった様です。それを元に鋳造されたのが、かの有名な和同開珎。時の天皇は喜び、銅が発見された山ごと祀らせたそうです。それがこの場所で、現在の聖神社周辺だと言われています。

ここは、日本の貨幣発祥の地と言われています。

なるほど、社殿の前に大きな和同開珎がそびえ立っています。最初に見た看板に描かれたお金の絵は、和同開珎だったんですね。

約1300年前に、この地で精錬を必要としない銅が発見されました。それを機に、日本で初めて硬貨が作られたそうです。

もともとは、その事柄にちなんだ神社でした(もちろん今も)。

画像: 絵馬にも、和同開珎のイラストが入っていました。そして、金運と開運の文字も。そこに書き入れられる願いと言えば、ただ一つ! 宝くじの当選や給料アップなど、絵馬掛けは只ならぬ雰囲気でした(笑)。

絵馬にも、和同開珎のイラストが入っていました。そして、金運と開運の文字も。そこに書き入れられる願いと言えば、ただ一つ! 宝くじの当選や給料アップなど、絵馬掛けは只ならぬ雰囲気でした(笑)。

しかし和同開珎のイメージが、やがてお金のイメージに。そこから転じて、現在では「金運」のカミサマとして多くの人に信仰されています。

決して大きいとは言えない神社ですが、次から次へと参拝者が絶えません。みんなの願いは、ただ一つ。全国から集まった人々は、参拝の順番待ちの列の中で不思議と打ち解けてらっしゃいました。

さっきまでは他人だったのに…。これもご利益なんでしょうね。

画像: 境内には、もう一社あります。大黒様にちなんで、打ち出の小槌がありました。誰でも振らせてもらえます。

境内には、もう一社あります。大黒様にちなんで、打ち出の小槌がありました。誰でも振らせてもらえます。

画像: その打ち出の小槌を共通点に、ご婦人と金運トーク。なんと、新潟から参拝に来たそうです!

その打ち出の小槌を共通点に、ご婦人と金運トーク。なんと、新潟から参拝に来たそうです!

神社一口メモ

画像1: 貨幣発祥の地「聖神社」からライダーに馴染みの秩父を巡る/神社巡拝家・佐々木優太の「神社拝走記」【第9回】(埼玉県)

聖神社から、山へ入って行く様に少し歩くと、細い道の先に、少し開けたところを発見! この沢こそ、銅が発見された場所。ギャートルズサイズの和同開珎は必見。

疾走って、話して、眺めて

秩父市の隣に位置する小鹿野町。ライダーにとって小鹿野町と言えば、バイクの聖地のひとつではないでしょうか。

「ウエルカムライダーズおがの」と題し、町をあげてライダーを温かく迎えるという取り組みをされています。

その中でも、とりわけライダーが集まるお店があると聞いて、小鹿野町を目指し疾走りました。辿り着いたのは「ライダーズカフェ・Moto Green-G」。

画像2: 貨幣発祥の地「聖神社」からライダーに馴染みの秩父を巡る/神社巡拝家・佐々木優太の「神社拝走記」【第9回】(埼玉県)

Moto Green-G

所在地:埼玉県小鹿野町小鹿野377-1

秩父市街地より少し足を伸ばしたところにあるカフェ。コーヒーなど飲み物はもちろん、食事も楽しめます。店長をはじめ、全国から集まるお客さんもバイク好き。

ライダーなら1度は訪れてほしい場所です。

僕が着いた時はちょうど、店長の小野さんと他のライダーが、バイクを挟んで笑顔で話しているところでした。

ご自身もライダーであり、とっても気さくな小野さん。店内に並べられた貴重な展示車両にまつわる話をして下さいました。

画像: 店内はまさに、ライダーのオアシス。展示されている車両は、長い年月をかけて集められた貴重なものばかり。

店内はまさに、ライダーのオアシス。展示されている車両は、長い年月をかけて集められた貴重なものばかり。

車両のみならず、店内はオートバイ好きにはたまらない物ばかり。それを眺めながらのコーヒー、そして店長との会話。

ツーリングの目的地としては、最高なのではないでしょうか。RIDEのバックナンバーもたくさんありました。

画像: 店長の小野さんも、もちろんライダー。そして乗り物好き! バイクトークが尽きることはありませんでした。

店長の小野さんも、もちろんライダー。そして乗り物好き! バイクトークが尽きることはありませんでした。

画像: さすがライダーを迎えてくれるカフェ。バイク専用の駐車場が設けられています。大切なのは「駐車スペース」ではなく「二輪専用」ということ。ライダーにとって、これは有り難いですねぇ。

さすがライダーを迎えてくれるカフェ。バイク専用の駐車場が設けられています。大切なのは「駐車スペース」ではなく「二輪専用」ということ。ライダーにとって、これは有り難いですねぇ。

お腹のタンクも満タンに!

秩父往還と称される国道140号線。秩父より山梨方面へ、まさに昔の旅人が通ったであろう道を疾走ります。景色はいよいよ山深くなり、並んで流れる荒川も表情を変えてきました。

ツーリングを楽しむならば、まさにココからというところ。折り返すも良し、このまま峠を越えるのも良し。そこに、ライダーのために存在するようなお店があります。そう、RIDEではお馴染みのバイク弁当「大滝食堂」さんです!

画像3: 貨幣発祥の地「聖神社」からライダーに馴染みの秩父を巡る/神社巡拝家・佐々木優太の「神社拝走記」【第9回】(埼玉県)

バイク弁当の大滝食堂

住所:埼玉県秩父市大滝890-2

ライダーで料理人の横田さんが作るお弁当は、全てに愛情を感じます。

食べやすいように、おかずはシンプル。でも、味付けは大満足間違いなしのプロの味。厚切りの豚肉に、手間を惜しまない濃厚な味が染み込んでいます。

それがタンクの形をしたお弁当箱に詰まっているのです。

画像: こちらがバイク弁当(ノーマル:1000円〜)店内でも食べられますが、もちろん持って帰ることもできます。持ち帰られる時のことを考えて、汁がこぼれたりしないようなメニューや、盛り付けがされています。

こちらがバイク弁当(ノーマル:1000円〜)店内でも食べられますが、もちろん持って帰ることもできます。持ち帰られる時のことを考えて、汁がこぼれたりしないようなメニューや、盛り付けがされています。

画像: こちらはバイク漫画の「ばくおん」とのコラボバージョン。

こちらはバイク漫画の「ばくおん」とのコラボバージョン。

道から感じる人の想い

行きたい所へ、行きたい時に行ける。さらに風を感じることが出来る。それがオートバイのいいところ。なにを隠そう僕も、この魔力に取りつかれた一人です。

でもちょっと待てよと、疾走っている途中にヘルメットの中で思ったのです。オートバイも大切なんだけど、その前に思いもしなかったこと。それは、道。

オフロードバイクで切り拓く道なき道は別として。道が無ければ、オートバイは走れない。

行きたい所へ行く自由を感じていたけれど、そこには必ず道があった。道に導かれていたのかもしれない。そう考える今だって、僕は道の上を疾走っているのです。

「行きたい所へ行きたい」と最初に思った人たちの、その想いが形になったもの。それを道と呼ぶのかもしれませんね。

歩こうが疾走ろうが、道だけは変わりはしないのですから。

ならば、僕が今疾走るこの道は、誰の思いが創り出した物なのだろうか。

画像: 秩父往還ループ橋 自然の地形に合わせて造ったからこそ、こんな形になるんでしょうね。ダムを右に左に見ながら、景色との距離を楽しんで疾走れました。

秩父往還ループ橋

自然の地形に合わせて造ったからこそ、こんな形になるんでしょうね。ダムを右に左に見ながら、景色との距離を楽しんで疾走れました。

秩父往還。なんて魅力的な響きをする名の道なのでしょうか。秩父と山梨県の南巨摩郡を行き来するための道で、古来より存在していたそうです。

秩父地方にはヤマトタケルにまつわる神社が多くありますが、そのヤマトタケルが山梨県側から秩父へ入る時に通ったのも、この秩父往還だったと言われているそうです。

そうなると、2000年前頃には人の行き来があったことになります。

獣道から砂利道へ、そしてアスファルトへと、時代とともに変わっていく道。

駆るものが変わっても、地図はそんなに変わっていないのでしょう。2000年もの歴史があっても、人の想いにはあまり変化はないのかもしれません。

調べてみると、自動車で埼玉県側と山梨県側を行き来できるようになったのは、平成10年になってからのことだそうです。

意外と最近なんですね。やっぱり、人の想いはすごい。

2000年もの間、人が行き来していることにも驚くし、成長を止めなかった道にも驚きます。道は、人の想いを表しているのかもしれないですね。

次の神社へも、他の人に出会うも、全ては道で繋がっているってことかな。

画像: 道から感じる人の想い

たどり着いた場所で、エンジンを休ませる。地面に座り、田んぼのずっと先を眺めました。遠くに、大自然に馴染んだ工場がありました。

風が吹き、花びらが飛んできた方を見ると、そこには大きな桜の木が立っていました。

季節が変わろうとしている。

疾走っている時は気付かなかったけど、立ち止まってこそ気が付く時間の流れ。

「立ち止まる」って、決してネガティブなことじゃない。気付くことが出来るのだから。

もう少し休んでから疾走り出そうと思う……神社拝走の旅は続く!

文:佐々木優太/写真:関野 温

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