2019年、5月18日。大阪万博公園が揺れたのを覚えているだろうか。トライアルのIASランカーである藤原慎也がはじめた、シティトライアルジャパンの第2回が開催された。だいぶ時間が空いてしまったが、このたびお送りするのは、藤原を専属で追う折口祐介カメラマンとの対談。赤裸々な二人のシティトライアルジャパンの思い出を、10000字でじっくりご堪能いただきたい。
聞き手:折口祐介
編集:稲垣正倫
本編の写真:稲垣正倫
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会場が通天閣へ移ったことに、3つの意義があった
折口 まずは、第1回目と第2回目、何か感じた事とか、ここ良かったなあというような事がありましたか?
藤原 そうですね、まず業界内からの支持というか、ほぼ100%の人たちがシティトライアルを待ち望んでくれていたし、楽しみにしてくれていたという、業界内の反応の良さ。もちろんライダーもトライアル関係者もそうですし、はたまた全然違うカテゴリーのライダーからも、すごい楽しみにされていた、という良い反響しか聞こえてきていないですもんね。
折口 正直ね、第1回目の事考えると、僕の家は通天閣がすぐ近所で、あの狭さでようやったな、っていうのが1回目の開催場所だったんですけれども。その通天閣から今回は万博公園にした背景ってなにかあったりするんでしょうか。
藤原 そうですね、もちろん通天閣という街中でできた、ましてや初めての開催であの場所を選んだという事はすごいファーストインパクトが強くて。それこそ業界に激震が走ったくらいのインパクトだったと思います。で、2回目も、当初街中での開催っていうのをしようかなと進めていました。
ただちょっと通天閣はできなくなったんですね。警察が担当者が変わって許可出してもらえなくなったりとか、よくありがちな話なんですが。で、まあできなくなって、でもう1個検討していた違う所も、途中で話が折れてできなくなっちゃって。で、すごい悩んでいたんですけど、丁度その時に万博公園さんから話が来たんです。話をしてみると、非常に万博公園さんも楽しみにしてくれて、他のイベントがその日入っていたんですけれども、それも蹴とばしてくれて、シティトライアルをやってほしいと。
そういう会場からのそういう熱いバックアップを受けたという背景がまずあります。そして、もう2点目。万博公園って単なる公園じゃないんですよね。僕は、開催会場は何かその土地を象徴するシンボルであることが大事だと思っています。単なる公園じゃなく、太陽の塔っていう歴史上のシンボルがあるっていう場所でもある。