そんな日本国内向けに開発された750カタナは、オリジナルの1100カタナとはひと味違ったスタイルを与えられた。
独自の進化を遂げる
スズキは「国内は750ccまで」という当時の自主規制に沿って、当初からGSX1100Sカタナを750ccにスケールダウンして国内販売する計画だったが、そのための壁となったのがハンドルとカウリングだった。

今では考えられないことだが、80年代初頭までの国内仕様では、前傾姿勢がきつくなる低いハンドルは運輸省(現在の国土交通省)の認可が下りず、今でいうツーリングタイプのカウリングでさえ、標準装着が認可されたのは82年半ばのことだった。
そこでスズキは、カウリングはあくまでも「ライトハウジング」と呼び、その下のフィンを取り外し、スクリーンはオプション設定に。
ハンドルだけはどうにもならず、大きく手前に引いたアップハンドルに換装して82年2月に市販を開始する。
ハンス・ムートのデザインで世界に衝撃を与えたGSX1100Sカタナを国内向けにしたモデルで、750ccエンジンを搭載。しかし当時の規制によってハンドルはアップタイプになり、スクリーンも外され、オリジナルとは大きく異なるスタイルとなってしまった。
●空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒●747cc●69PS/8500rpm●6.2kg-m/7000rpm●223kg●3.25-19・4.00-18●59万8000円
仕方がないこととはいえ、そのハンドル形状はカタナのデザインを大きくスポイル。ユーザーからは「耕運機ハンドル」などと揶揄された。
当然のように、手に入れたオーナーの多くが1100Sと同じクリップオンハンドルに交換するが、当時は改造に対する規制も厳しく、厳密には一切のパーツ変更が許されなかった時代。

警察がハンドルを変えた750Sを厳しく取り締まる「カタナ狩り」が行われたことも、良く知られたエピソードだ。
その後カウリングの装着が認可され、11月にスクリーンを標準装備した仕様が9000円高で追加ラインアップされた。
83年3月にII型にモデルチェンジ。ホイールデザインを星型から6本スポークに変更するとともに、フロントを19インチから当時流行の16インチに。
流行のフロント16インチをカタナにも採用。エンジンは各部の見直しで3PSアップし、ハンドルとシート形状も変更を受けた。
●空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒●747cc●72PS/9000rpm●6.3kg-m/7000rpm●222kg●100/90-16・120/90-17●64万7000円
それに合わせてリアも18インチから17インチに小径化。タイヤもミシュランが標準装備となる。
フロント16インチ化に合わせてフロントブレーキディスクもφ275mmからφ260mmに小径化された。
エンジンは圧縮比アップとバルブタイミングの変更によって3馬力アップ。カムカバーが1100SDと同デザインとなった。ステップもジュラルミン鍛造製にグレードアップされている。
84年3月。ハンス・ムートデザインを捨て、スポーツモデル初のリトラクタブルヘッドライトを内蔵したスズキ社内デザインのIII型にフルモデルチェンジ。

第2世代のカタナはリトラクタブルヘッド、ゴールドフレームで登場。空冷最大の77PSエンジンはTSCC装備で、サスはポジティブダンピングフォースとフルフローター。
●空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒●747cc●77PS/9000rpm●6.4kg-m/7500rpm●212kg●100/90-16・120/90-17●69万9000円
ベースがGSX750E4となってフレームが角パイプ製となり、エンジンもオイルクーラーを装備するなどして77馬力までパワーアップ。
PDF付フロントフォークやフルフローターリアサスペンション、新デザインの前後17インチホイール、対向ピストンブレーキキャリパーなど、足まわりにも大幅に近代化され、車重も一気に10 kg軽くなる。

懸案のハンドルも認定基準の緩和でグッと低くなったが、セールス面では苦戦を強いられてしまう。
85年8月。新たに燃料計を追加した3連メーターを採用し、カタナイメージを強調する新色のシルバーを追加したIV型にチェンジするも起爆剤とは成り得ず、国内最高峰モデルの座をGSXーR750に譲り、87年初頭にラインアップを外れた。