ホンダCBとカワサキZを性能だけでなく上回るもの

それは、スズキの「世界への挑戦」だった。69年にホンダCB750FOURが口火を切った日本の4ストロークビッグバイクヒストリーには、72年にカワサキZ1が、そしてスズキも遅ればせながら76年にGS750で登場することになる。

この頃、ホンダはすでに第2世代のビッグバイク、CB750Fをリリースし、時代は80年代に突入しようとしていた。

スズキも第2世代のGSX1100Eを80年に発表。しかし、ホンダもカワサキも超える1100㏄の排気量をもってしても、たとえそれが性能で上回っても、この2強の牙城を崩すには至らなかったのだ。

必要だったもの、それは、ひと目見て「スズキだ」とわかるスタイリングだった。スズキはドイツのデザイン会社「ターゲットデザイン」社にスタイリングデザインを依頼。ハンス・ムート、ハンス・ゲオルグ・カステン、ジャン・フェルストロームというデザイナー集団は、まずGS650Gを作り上げ、のちに完成したのがGSX1100Sカタナだったのだ。

カタナは下写真上のスケッチから、写真下のモックアップまで仕上がったが、この状態から「スズキは基本デザインを、ターゲット社はバイクの機能を犠牲にしない」という約束事で市販に向けて進行。80年のケルンショーで世界初公開される。

画像: この一枚のスケッチ画からカタナの物語がスタートする。カタナを生んだのは、1980年当時、スズキの欧州販売担当であった谷雅雄さんの強い意志と、多くの市販車・レーサーを開発してきた横内悦夫さんの技術者魂だった。

この一枚のスケッチ画からカタナの物語がスタートする。カタナを生んだのは、1980年当時、スズキの欧州販売担当であった谷雅雄さんの強い意志と、多くの市販車・レーサーを開発してきた横内悦夫さんの技術者魂だった。

画像: 1979年、ドイツのオートバイ専門誌『モトラッド』が増刊号の巻頭企画としてデザインコンペを開催。そこに寄せられた作品の1台がこのMV750S。製作は当時新興だったミュンヘンのターゲットデザイン。実はカタナと同時進行していた作品。

1979年、ドイツのオートバイ専門誌『モトラッド』が増刊号の巻頭企画としてデザインコンペを開催。そこに寄せられた作品の1台がこのMV750S。製作は当時新興だったミュンヘンのターゲットデザイン。実はカタナと同時進行していた作品。

画像: 「ケルンの衝撃」とも言われる1980年のケルンショーで発表されたターゲットデザインによるプロトタイプ【ED2】。この1台でカタナの方向性が周知された。ED1はGS650Gを目指す。

「ケルンの衝撃」とも言われる1980年のケルンショーで発表されたターゲットデザインによるプロトタイプ【ED2】。この1台でカタナの方向性が周知された。ED1はGS650Gを目指す。

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