MotoGPは鈴鹿8耐明けから2週連続開催で、チェコ→オーストリアGPとシーズン後半戦がスタートしました。この2レースでは、チェコでアンドレア・ドビツィオーゾが、オーストリアでホルヘ・ロレンソが優勝と、ドゥカティが2連勝。ワールドチャンピオン、マルク・マルケス(ホンダ)は、この2戦を3位→2位とまとめて、依然ランキングトップをガッチリ! ランキング2位のバレンティーノ・ロッシ(ヤマハ)とのポイント差を59ポイントと広げました。

画像: 2017年カタルニアGP以来のQ2落ち ロッシにいま何が??

2017年カタルニアGP以来のQ2落ち ロッシにいま何が??

心配なのは、そのロッシと、チームメイトのマーベリック・ビニャーレスのことです。チェコが始まる前、前半戦を終えた時点で、このヤマハデュオはランキング2~3位。優勝こそないものの、ロッシは表彰台に5回、ビニャーレスはMotoGPクラスで唯一、全戦でポイント獲得をし続けて、マルケスの牙城に迫ろうとしていました。

そして、このオーストリアGPの予選後、信じられないシーンを見ました。

「我々は、バレンティーノ・ロッシとマーベリック・ビニャーレス、ふたりのライダーに謝ります」

それはオーストリアGP予選後の、ヤマハYZR-M1のプロジェクトリーダー、津谷晃司さんの会見でした。

画像: 謝罪会見を開く津谷晃司さん(左) 右はチームダイレクターのリン・ジャービスさん 津谷さんのこと睨んでるみたいだけど、このひと普段からこんな表情です

謝罪会見を開く津谷晃司さん(左) 右はチームダイレクターのリン・ジャービスさん 津谷さんのこと睨んでるみたいだけど、このひと普段からこんな表情です

「(予選までを終えて)我々にとって厳しい日でした。いまヤマハはアクセラレーション、パワーデリバリーと、出力特性に苦しんでいます。(オーストリアGPが行なわれる)レッドブルリンクは、ヤマハにとって厳しいサーキットです。ここで、問題を改善できていなくて、シーズンで最悪の予選順位となってしまった。このマシンの問題点を改善できていないことを、二人のライダーに謝りたい。マーベリックに関しては金曜にマシントラブルがあって、それが土曜にも起こって彼の集中力を邪魔してしまった。我々は、この不調の原因を調査しています。ふたりのライダーには、集中を妨げてしまって申し訳ない。いま我々は、今まで以上に努力しています。このレースが終わったら、ミザノ、そしてアラゴンでテストを行ないます。そこで早く解決策を見つけたい」(津谷さん)

この予選で、ロッシはQ2に進出することができずに、Q1で4位(=つまり予選14番手)、ビニャーレスはQ2に進出するも11位、予選11番手。ロッシは今シーズンのワースト予選順位、ビニャーレスは開幕戦、チェコGP、ヘレスに次ぐ悪いポジションです。

画像: チェコでは巻き添えを食らって連続ポイント獲得が途絶えてしまったビニャーレス

チェコでは巻き添えを食らって連続ポイント獲得が途絶えてしまったビニャーレス

2018年のヤマハは、17年に起きたマシンの問題点を解決できないままシーズンを過ごしてきました。思い返してください、17年のヤマハは、シーズンイン前のウィンターテストでビニャーレスがトップタイムを連発して開幕2連勝、ふたつはさんで第5戦フランスで3勝目と絶好のスタートを切ったことを。その間にもロッシは開幕3戦連続表彰台と、最高のスタートを切りながら、シーズン中盤に失速し、シーズン後半戦には、ヤマハサテライトのヨハン・ザルコ(TECH3ヤマハ)に後れを取るシーンさえみられるようになりました。

「ウィンターテストの時点から、バレンティーノは『ちょっとフィーリングがおかしい』とずっと言っていたんです。それでもマーベリックは快調にタイムを出していたから、我々はマシンに大きな問題があるとは考えていなかった。バレンティーノも違和感を持ちながらも、本能でそこを補正した乗り方をしてくれていたので、我々に、その『違和感』が伝わらなかった。それが17年シーズンのつまづきのスタートでした」とは、昨年暮れにインタビューした際の津谷さんのお話。

ロッシが言った「違和感」とは、「旋回のフィーリング、特にコーナーの入り口で思ったように曲がって行かない」というもの。16年型YZR-M1の問題点のひとつだった「タイヤライフを持たせられない」というポイントを修正した17年型YZR-M1が、上手くまとまらなかった、というものだったようです。
このため、YZR-M1は17年シーズン中に3仕様のフレームを投入。症状は良化したり変わらなかったりで、ついには最終戦で急きょ、16年型フレームを投入。それも、予選まで終了して日曜の朝から16年型フレームを使うという「異常事態」でした。

シーズン中のエンジン開発が禁止されている今、上手く走らないとライダーが感じ、データや成績もそれを証明すれば、チームはエンジンの補器、つまりマフラーや吸気系、さらに車体の変更で対応します。それがだめなら、やはりエンジン特性に問題がある、ということ。車体でいろいろトライをするエンジン特性の問題ということは、やはりタイヤへの攻撃性が高い、ということ。この点についても、津谷さんは昨年のインタビューで
「タイヤがヒートしすぎるんです」と認めていました。

画像: ロッシが投入したニューリアフェンダー リアタイヤを少しでも冷却しようという狙いだろうか

ロッシが投入したニューリアフェンダー リアタイヤを少しでも冷却しようという狙いだろうか

しかし、ロッシはヤマハ不調の原因を問われてこう言います。
「ヤマハのポテンシャルは高いと思う。エンジンも車体も、決してライバルに劣っていない。問題は制御系のことなんだ。僕なんか1週間前は予選1列目で、今回は5列目なんだから。コースによって不具合が目立ったり、そうでなかったり、ということ」(ロッシ)

事実ドイツGPでは、ヤマハのふたりは2位/3位とダブル表彰台に上がってみせました。ドイツGPが行なわれるサクセンリンクは、GPサーキット中いちばん平均速度が低く、ラップタイムが短いサーキット。こういうコースでは、YZR-M1のネガティブ面が出にくいということになりますね。

画像: 18年ドイツGPではダブル表彰台を獲得しました

18年ドイツGPではダブル表彰台を獲得しました

では、その電子制御の話。電子制御とひとことで言っても、ここは現代のMotoGPで最も明らかになっていない分野の話。そういえば、ECU=エンジン・コントロール・ユニットが共通化されたのと、ヤマハの苦悩が始まったタイミングは一致しています。

15年シーズンまでは、各メーカーは自社製ECUソフトを使用し、トラクションコントロールやアンチウィリー、エンジンブレーキコントロールや燃費制御などを管理してきました。各社ともレースが行われる各サーキットに合ったソフトを開発して、例えばひとつのサーキットの1コーナーと2コーナーでエンジンブレーキの効きが変わったり、3コーナーと4コーナーでトラクションコントロールの効きが変わったり、ガソリン残量がなくなってくると、最後まで走り切れるようにガソリンを薄く噴き始めるといったスペシャルなECUソフトを作り上げてきたわけです。

それが、共通ECUソフト導入で失われてしまったのが16年シーズン序盤です。このECUソフトはマニエッティ・マレリ製で、大げさに言うと、ホイと渡されてどういう機能があるのか、どうイジったらどこがワークするか、なんて取扱説明書もなかったようです。当然、各メーカーはセッティングやマシン開発と同時に、ECUソフトの理解、解析から始めます。そのため、ECUソフト共通化以前からマニエッティ・マレリ製ソフトを使用していたドゥカティが、電子制御に一歩先を行っている――そう言われたのがこの頃ですね。

画像: 1年も勝ち星のないロッシ。表彰台には上がっているから、ドゥカティ在籍時ほどではないだろうけれど…

1年も勝ち星のないロッシ。表彰台には上がっているから、ドゥカティ在籍時ほどではないだろうけれど…

16年末にお話を伺ったところでは、ホンダ、ヤマハ、スズキとも、このECUソフトの理解、解析はまだまだで、依然として自社製ソフトの域には達していない、と言っていました。そして16~17年と理解・開発を進めての、ヤマハの不調。これはやはりECUソフトの理解・解析、それによる電子制御技術の未完成が原因なのでしょう。
時期は定かではないのですが、17年のシーズンには、ホンダは電子制御のエンジニア(=GPの現場ではエレクトロニクス・テクニシャンといいます)に元マニエッティ・マレリ社のエンジニアを登用。ただし、これは特別なことでも何でもなく、GPのパドックではこういう技術者の移籍や交流はよくあることで、チーム間のメカニックの移籍→交流と同じく、ブレーキやサスペンション、タイヤなどの各マテリアルの技術者が、チームスタッフになる、ってことは少なくないのです。ドゥカティにもマニエッティ・マレリのエンジニアがいるし、それがホンダにもいて、ヤマハにはいなかった――。それが17年までの事情でした。

画像: フリー1回目ではロッシ、ビニャーレスとも、種類は違えどマシントラブルが発生 ビニャーレスにはFP4でも同じセンサートラブルに見舞われた

フリー1回目ではロッシ、ビニャーレスとも、種類は違えどマシントラブルが発生 ビニャーレスにはFP4でも同じセンサートラブルに見舞われた 

YZR-M1不調の原因はハッキリわかっていた、と津谷さんは言います。どこをどう直せば解消することも分かっているし、それは自社製ソフトの時代ならカンタンなことでした、とも。
問題があっても、それを直接的に修正する手段を封じられてしまっているのが現代のMotoGP。それが、シーズン中のエンジン開発ができないレギュレーションであり、共通ECUです。思うに任せない電子制御を、短いウィンターテストで決めたエンジン諸元と、車体でカバーするのが、現代MotoGPの戦いなのかもしれません。
エンジンも重要、車体はもっと重要、電気はさらに重要、ってことです。言うまでもなく、レースはタイヤをいかに使うかが重要なスポーツ。タイヤを使うのは、かつてはエンジンの仕事、それから車体の仕事になって、今は電気の仕事、ということなんでしょう。

結局、オーストリアGPは、予選14番手スタートのロッシが6位まで追い上げてフィニッシュ。11番手スタートのビニャーレスは12位に沈んでしまいましたが、こういう条件でキッチリ6位まで追い上げるのがロッシの凄さですね。

画像: 序盤のビニャーレス バウティスタを追い、中上に追われている

序盤のビニャーレス バウティスタを追い、中上に追われている

「今日のレースは楽しかったよ。何人かパッシング出来たし、レース中、誰にも抜かれなかったからね」と笑ったロッシ。もちろん、9Times World Championが悔しくないわけがない、ヤマハが問題を解決してくれるまで、ジッとガマンしよう、でもいつまでもだまっちゃいないぞ、って態度なんでしょう。

画像: レース中盤、8番手あたりを走るロッシ ここから少しずつ順位を上げていく

レース中盤、8番手あたりを走るロッシ ここから少しずつ順位を上げていく 

思えばロッシがホンダからヤマハに移籍した2003年シーズン終わりの時点で、ヤマハはアレックス・バロスとカルロス・チェカのふたりが、シーズンを通して、合わせて1度しか表彰台に登れない、という暗黒時代でした。そこでロッシが移籍してきたことで、翌04年には、そのロッシがワ-ルドチャンピオンになったのでした。それからヤマハの黄金時代が始まったのですね。
そして現在、YZR-M1は2017年のオランダGPから21戦、つまり17年6月25日から18年8月10日まで1年1カ月と15日も優勝していません。これは、2002年10月11日のマレーシアGPでマックス・ビアッジが優勝して以来、04年4月16日の南アフリカGPでロッシが優勝するまで18戦、1年6カ月5日のあいだ勝ち星のなかった「ヤマハMotoGP未勝利記録」期間に迫っています。もう、時間的猶予は残されていないのです。

画像: 2003年型のYZR-M1 写真はバロス車、チェカ車はフォルトゥナカラーでしたね

2003年型のYZR-M1 写真はバロス車、チェカ車はフォルトゥナカラーでしたね

メーカーが「バイクが悪くてゴメン」って、ライダーに謝るなんて、しかもそれを公開の記者会見にするなんて前代未聞、少なくとも私は聞いたことがありません。ライダーに申し訳ないな、と思う気持ちはあって当然だし、謝るならピットの中でやればいいこと。それをわざわざ公開の記者会見としたのは、なにかの意味があるのだと思います。
すでにマシン改良のめどが立って、その復活劇を印象付けようとしているのか、ライダーのせいにされがちな成績不振の原因がふたりのライダーに向くのを防波堤となって止めようとしているのか、現場と本社の対立で「ちゃんと世間に発表せよ」と追い込まれたのか、果たして……。

個人的な意見を申すと、こういうシーンは見たくなかった。津谷さんはひとが良い、それも良すぎるような人で、僕らの拙い質問にもいつも懇切丁寧に答えてくれて、こういう人は、きっとピットでも同じようにふるまっているんだと思うのです。ここで、公開で謝罪したことで、ヤマハ成績不振の戦犯に仕立て上げられやしないか、心配なのです。
「ほら、ツヤが言ったことは実行されないじゃないか」とかね。
解決策は、成績しかありません。僕らメディアがどこかに偏ることはよくないことだとは思いつつ、ヤマハのふたりの成績が上向くこと、願っています。
そして、今やドゥカティvsホンダになっているMotoGPのチャンピオン争いが、ドゥカティvsホンダvsヤマハ、そしてその輪にスズキも加わってくる日がいつか来ますように――。あ、KTMもアプリリアもがんばれ、なのは言うまでもありません。

■MotoGP 第11戦 オーストリアGP結果
優勝 ホルヘ・ロレンソ      ドゥカティ
2位 マルク・マルケス      ホンダ
3位 アンドレア・ドビツィオーゾ ドゥカティ
4位 カル・クラッチロウ     ホンダ
5位 ダニロ・ペトルッチ     ドゥカティ
6位 バレンティーノ・ロッシ   ヤマハ
7位 ダニ・ペドロサ       ホンダ
8位 アレックス・リンス     スズキ
9位 ヨハン・ザルコ       ヤマハ   
10位 アルバロ・バウティスタ   ドゥカティ

文責/中村浩史 写真/Michelin motogp.com

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