新型は記憶にあるカブのまま不思議な安心感に包まれる
誕生60周年、累計生産台数1億台突破、新型登場と国内生産回帰など、スーパーカブ関連のトピックはこの秋の大きな話題となり、新聞やテレビでも扱われた。これもスーパーカブが日本の経済成長に貢献し、今では当たり前になっている海外生産という手法の先鞭を着け、60年間に渡って世界中で愛され続けている工業製品の傑作である証明だ。
現在五十歳代以上のライダーなら、一度はスーパーカブに乗ったことがあるだろう。通勤通学に買い物、営業回りや配達など、1958年の登場以来、庶民の生活に寄り添って大ヒットした乗り物だけに、身近にあって当たり前の存在。初めて乗ったオートバイがスーパーカブだったという人も多いと思う。
ただ、実用モデルだけに野暮ったく見えたのも事実。60年代の学生はスポーツモデルで学校に乗り付けることがカッコイイとされていたし、70年代からはレジャーモデルやスクーターが台頭して趣味性とは無縁なスーパーカブは働くバイクのイメージが強まり、若いライダーとの接点は減っていった。
80年代には空前のバイクブームが巻き起こり、スポーツモデルは一気に高性能化したが、スーパーカブはそうした時流に影響されることもなく、実用バイクとしての完成度を地道に追求。90年代に入ると高性能バイクに対するカウンターとしてスーパーカブを洒落たストリートバイクとして扱うライダーが増え、97年には前後ホイールを14インチに小径化したリトルカブが登場して人気を博した。
90年代入ると国内需要の減少が顕著になるが、東南アジアでの販売台数は右肩上がり。そこで09
年型の110は部品の半数以上をタイから輸入して熊本製作所で組み立てる手法を取り、12年に登場した新型50/110からは生産を中国工場に移管。日本を代表するオートバイが海外生産となったことを嘆く関係者、ユーザーは少なくなかった。
最新の18年モデルから再び熊本工場での生産となったが、中国工場製の品質が問題になったのではなく、製造、流通のコストを見直した結果。ともあれ新型スーパーカブが再びメイドインジャパンとなり、往年のルックスも取り戻したことを喜ぶファンは多いだろう。
スーパーカブに乗るのは久しぶりだが、学生時代は90㏄モデルで米屋の配達アルバイトをしていたし、派生モデルであるタイ製のドリームやウェーブに現地で乗る機会もあるので、遠心クラッチのローターリー式ミッションに違和感はなく、久々ながら乗り慣れた感覚。ホンダの開発陣が重箱の隅を突くように細かな改良を積み重ねているはずだが、ライディングポジションも加速感もハンドリングも、すべてが僕の覚えているスーパーカブのままで、不思議な安心感に包まれる。
110はパワーに充分な余裕があり、市街地で交通の流れをリードすることも簡単だし、急な上り坂でも失速するようなことはない。荒れた路面や段差での安定感は小径ホイールのスクーターとは比べものにならないほど高く、車重バランスが後輪側に寄っているスクーターとは違うニュートラルなハンドリングで接地感も伝わってくる。『働くバイク』と括るにはもったいない扱いやすさだ。
110と50は基本的に共通の車体なので素直なハンドリングは変わらず、渋滞路も軽快に走れる。だが、正直言って50で大通りを走るのは苦痛だった。110と比べると加速が緩慢なので他車の動きに注意が必要だし、そもそも法定制限速度が30㎞/hだから周囲の流れに乗れず、2段階右折にも戸惑う。50に限っては都市部のコミューターとしての存在意義は薄れていることを実感した。
モンキーが生産を終了したように、スーパーカブ50もこれが最終型になる可能性は高いように思う。日本のライダーなら一度はホンダを世界的企業に押し上げたスーパーカブ50に乗って欲しい。登場以来60年間も基本設計が変わっていない理由が判るはずだ。 (太田安治)
梅ちゃん、
初めてスーパーカブに乗る!
「人生初のカブ試乗! 排気量の小さいバイクに慣れていないので不安もありましたが、とにかく乗り心地が良くて、安心感しかなかったです。ポジションもいいけど、シートの座り心地がすごく良いですね。ハンドルも軽くて、Uターンも怖くないし、軽量だから押して歩くのも全然苦じゃありません。初めてのロータリーミッションもすぐ慣れました。踏む時の力加減は、結構思い切りやった方が
スムーズなんですね。ただギアを落とすタイミングがちょっと難しくて、特に50は、スムーズな走り方を掴むまで意外と時間がかかる気がします。なので、もし自分が買うなら110です。カブは街乗り最強だってウワサは本当なんだ!って実感できる試乗体験でした」。 (梅本まどか)