全日本ロードレース JSB1000クラスは、高橋巧(MuSASHi RT ハルクプロホンダ)の初タイトルで幕を閉じました。絶対王者(って本誌が勝手に名付けてますw)中須賀克行(ヤマハファクトリーレーシング)の開幕3レース連続転倒、その中須賀の新チームメイトとなった野左根航汰、カワサキに移籍した渡辺一馬の躍進、そしてブランニューGSX-R1000Rを手にしたヨシムラ津田拓也と、開幕2連勝を決めた高橋とのチャンピオン争い――。
特に高橋と津田のチャンピオン争いは、2016年まで中須賀の5連覇を許してしまっていたホンダファン、ヨシムラファンの思いを乗せた代理戦争でした。特にヨシムラに、新たなタイトルスポンサー「MOTUL」がついたことは、全日本選手権TT-F1で3連覇を達成した1980年代中盤の黄金期を思わせるものでした。ヨシムラ=MOTUL=赤×黒のGSX-Rは、スズキファンの忘れられないノスタルジーですからね。本当はカラーリングも、当時の赤×ガンメタがよかったなぁ。

画像: ブランニューマシン ヨシムラスズキGSX-R1000R デビューイヤーの難しさに直面しました

ブランニューマシン ヨシムラスズキGSX-R1000R デビューイヤーの難しさに直面しました

その津田が、ニューマシンGSX-Rで奮闘していました。開幕戦・鈴鹿2&4は2位、第2戦・雨のSUGO120Mileは10位に終わってしまいましたが、もてぎ1→オートポリス1→もてぎ2→オートポリス2と4レース連続表彰台に上がり、岡山では4位に終わったものの、ランキングトップで最終戦を迎えたのです。
開幕2連勝をあげた高橋は、オートポリス1でマシントラブルが発生し、リタイヤしてノーポイントレースを作ってしまい、ランキングでも津田と渡辺に逆転を許してしまいます。オートポリス1の次戦のもてぎ2では渡辺を逆転しますが、津田までは届かず、開幕2連勝を飾った高橋か、全レースをコンスタントに高ポイントでまとめた津田か、そういう図式の最終戦だったわけです。

最終戦ということで、木曜からフリー走行があった鈴鹿大会。木曜の走行は午前/午後とも高橋がトップタイムで、金曜の走行では午前に高橋、午後に中須賀がトップタイムをマークしました。対して津田は、木曜に5位/8位で、金曜は7位/10位。うーん、今ひとつ津田が浮上してきません。
そして、土曜日は公式予選。ノックアウト方式で行なわれた公式予選は、出走32人のうち、Q1のトップ10のライダーがQ2へ進出し、Q1の順位が日曜のレース2の、Q2の順位がレース1のスターティンググリッドとなります。

そのQ1の順位は
①中須賀克行 ②野左根航汰 ③渡辺一馬
④藤田拓哉  ⑤山口辰也  ⑥高橋巧
⑦高橋裕紀  ⑧加賀山就臣 ⑨津田拓也
⑩清成龍一  の順となりました。

上記の10人が出走したQ2の順位は
①中須賀克行 ②野左根航汰 ③渡辺一馬
④高橋巧   ⑤清成龍一  ⑥藤田拓哉
⑦加賀山就臣 ⑧津田拓也  ⑨山口辰也
⑩高橋裕紀

画像: 公式予選では、Q1が9番手、Q2が8番手と3列目スタート 本来の津田の位置ではありません…

公式予選では、Q1が9番手、Q2が8番手と3列目スタート 本来の津田の位置ではありません…

高橋はレース1で2列目4番グリッド/レース2で2列目6番グリッドとなり、対する津田はレース1で3列目8番グリッド/レース2は3列目9番グリッド。2列目の高橋はまだしも、津田はいっぱいいっぱいの3列目。津田、いつになったら浮上するんだろう……そう思ったファンは少なくなかったでしょう。チャンピオン争いの3人の中では、渡辺が両レースともフロントローからのスタートです。よーし、逆転狙ってやる――そういう気持ちが入った予選に見えましたね。

そして迎えた日曜日の決勝レース。レース1は8周、レース2は20周で行なわれ、泣いても笑ってもこれがラストレース。8周のレース1は、レース前のウォーミングアップランでトラブルを起こしたマシンがコース上にストップしたため、スタートが遅れ、決勝は1周減算で7周へ。超スプリントに変わりはありません。
レースの模様はこちら<http://www.autoby.jp/_ct/17130100>を参照いただくとして、トップ争いに注目が集まる中、津田はトップグループから大きく引き離されてセカンドグループで周回を消化。結果、8位でフィニッシュし、2位に入った高橋がランキングを逆転。
レース1を終わった時点でのポイントランキングは
①高橋:174p ②津田:171p ③渡辺:165p となりました。逆転を許したとはいえ、高橋と津田の差はまだ3ポイント。上位フィニッシュで、順位がふたつ違えば再逆転して津田のチャンピオンが決まります。高橋は、津田より前を走れば文句なくチャンピオン。渡辺は優勝しても、高橋と津田が10位以下でなければ決まらない、いわば自力優勝が消滅した状態となりました。

画像: レース1、トップグループに大きく離されてセカンドグループでレースする津田

レース1、トップグループに大きく離されてセカンドグループでレースする津田

20周で行なわれたレース2では、2列目スタートの高橋がホールショットを奪い、2列目スタートの津田は、ほぼグリッドどおりのポジションあたりからレースをスタートし、チームメイトのルーキー、濱原颯道(=そうどう)とポジション争いをする状態。結局、長丁場のレースでのタイヤマネジメントが上手い津田も上位に浮上することはなく、5位まで追い上げるのが精いっぱい。しかも、4位の藤田に21秒もの大差をつけられての5位です。
これはおかしい。津田の実力はこんなものじゃない――。そう考えたファンは少なくなかったでしょう。マシントラブルにしては両レースとも低迷しているし、体調不良? ケガ?

画像: 今年はMotoGPへも代役参戦 赤いマシン、赤いツナギに青いグローブは、いつでもGPマシンGSX-RRを操っている時の感覚を忘れないように、という気持ちの表れです

今年はMotoGPへも代役参戦 赤いマシン、赤いツナギに青いグローブは、いつでもGPマシンGSX-RRを操っている時の感覚を忘れないように、という気持ちの表れです

「ひとことでいえば実力不足。チームも拓也も、チャンピオン争いできる実力がなかったということです」というのはヨシムラスズキMOTULの加藤陽平監督。このレースに向けて、大きく作戦ミスをしたとか、セッティングを外してしまったとか、そういう理由ではないと言います。もちろん、津田のコンディションにも問題なし。
「ご存じのように、今年はマシンがフルモデルチェンジしての1年目。このマシンを仕上げきれなかったというのが主な理由です。シーズン序盤は耐久性や信頼性を高めるのに注力したし、同時に戦闘力も上げていった、それが間に合わなかった。拓也がテストして出してきた改良点をまとめきれませんでした。それはエンジンにしてもそうだし、車体も、電子制御もやりたいことがたくさん残りました。これをひとつずつ解決していって、来年また巻き返すしかありません」(加藤監督)
ご存知のように、ヨシムラはスズキの市販車ベースのロードレース活動を担っていますが、スズキのロードレースグループも、MotoGP活動で手一杯のシーズンだったのは想像に難くありません。こっちが忙しいからこっちがおろそかに、なんてあってはならないことですが、スズキからヨシムラへのサポートも十分だったとは言えないかもしれません。

画像: 最終戦の津田は、本当に元気がないように、覇気がなく見えました やってもやっても変わらない--こういう気持ちだったのかもしれません

最終戦の津田は、本当に元気がないように、覇気がなく見えました やってもやっても変わらない--こういう気持ちだったのかもしれません

「今の僕に、コメント聞きますか?」と力なく笑ったのは津田でした。
――キツい言い方をするよ、ゴメンな。何があったの? 木曜からさっぱり拓也らしい走りは見られなかったけど。
「バイクをぜんぜん仕上げきれませんでした。今年、鈴鹿を走ったのは開幕戦と、8耐テスト、8耐本番。ただし、8耐はタイヤも違うし(注:8耐はブリヂストン16.5インチ、全日本はブリヂストン17インチ)エンジン仕様も耐久向け。このウィーク、全日本車での走り出しでは、開幕戦から大きく変わってはいなかったイメージしか得られませんでした」
――開幕戦の鈴鹿2&4は4月。それから半年たってバイクを仕上げられないって。もてぎもオートポリスも表彰台だったし、そうは見えなかったけど?
「いま考えたら、もてぎやオートポリスはなんとかごまかしきれたというか、マシンの不利があんまり出なかった。でもたとえばオートポリスなんか、後半の登りセクション、今まで僕すごい得意で区間タイムも速かったのに、今年はそうでもなかった。鈴鹿も今までは得意だと思っていたんですが、この週末はこんなはずじゃない、こんなはずじゃない、って気持ちとずっと戦っていました」
――ヨシムラはスズキのスーパーバイク開発のメインでしょう? アメリカでは(トニ・)エリアスがチャンピオンになったし、オーストラリアでもジョシュ(・ウォーターズ)がチャンピオンになった。それでも開発が進んでなかったの?
「アメリカにもオーストラリアにも、ホンダやヤマハ、カワサキのワークスマシンはいません。それくらい、日本のJSBマシンのレベルは飛びぬけて高いんです。オーストラリアはもっと市販状態に近いスーパーストック仕様みたいなものだし」
――ニューマシンって、初年度はどんどん開発が進んで、ひとつのステップが大きいイメージがあるけど、そうはならなかった?
「なりませんでした。エンジン特性も、フレーム剛性のバランスも、スイングアームも課題がたくさん残りました。こうしたい、こう変えてほしい、こういうニューパーツを作ってほしい、っていう要望は出しましたが、あまり進まなかった。もちろん、有効な開発もたくさんありましたが、開幕戦と最終戦、ニューマシンの割にはほとんど姿が変わっていないと思います。素性はすごくいいマシンなのに、うまく仕上げきれませんでした。これに尽きると思います」
津田は、レース2のあとにピットに戻って、マシンを降りるや大泣きしていました。悔しかったし、情けなかったし、不甲斐なかった。勝てなかったし、いちばん大事なところで上位に行けなかった自分に腹立たしいし、期待してくれたファンのみんなに申し訳ない、そういう思いだったのでしょう。
「マシンを仕上げきれなかった僕の責任です。そう書いておいてください」

言いたくもない事情を、きちんと話してくれた津田の目は、もう来年に向いていました。
そしてヨシムラも、最終戦が終わってすぐにツインリンクもてぎへ移動し、早くも来シーズンへ向けてのテストを始めました。
津田の、ヨシムラのリベンジに注目したい、そんな2018年シーズンが待ち遠しい。その気持ちは、ヨシムラのスタッフ全員の気持ちでしょう。
高橋、中須賀、津田のトップ3に、野左根、渡辺、藤田が絡んできそうな2018年になりそうです。

■2017年JSB1000シリーズランキング
1:高橋巧   MuSAHi RT ハルクプロホンダ CBR1000RR-SP2 199P
2:津田拓也  ヨシムラスズキMOTUL    GSX-R1000R   190P
3:渡辺一馬  カワサキTeamグリーン    Ninja ZX-10RR  188P
4:藤田拓哉  YAMALUBE レーシング    YZF-R1      161P
5:野左根航汰 ヤマハファクトリーレーシング YZF-R1      155P
6:中須賀克行 ヤマハファクトリーレーシング YZF-R1      143P
7:濱原颯道  ヨシムラスズキMOTUL    GSX-R1000R   139P
8:山口辰也  TOHOレーシング       CBR1000RR-SP2 110P
9:高橋裕紀  モリワキMOTULレーシング  CBR1000RR-SP2 105P
10:加賀山就臣 チームKAGAYAMA      GSX-R1000R   98P

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