7/17(月)には、ホンダ青山本社で「ホンダ2017鈴鹿8耐トークショー」が行なわれました。これは、8耐本番を前に、出場ライダーである伊藤真一、秋吉耕佑、高橋 巧、そして「ミスター8耐」こと宇川徹さん(注:Webオートバイでは、基本的に現役選手は呼び捨てしますw 質問があったもので)が登場。ムカシ話や今年の注目点など、ファンの皆さんの前でお話しする、という企画だったんですが、その会場となったウェルカムプラザに、過去の8耐出場マシンがズラリ!
ちょ…ちょっとテンション上がったのでお見せしますね。
81年の鈴鹿8耐優勝車。CB900Fベースのワークスマシンで、デビッド・アルダナ/マイク・ボールドウィン組が優勝。ボールドウィンは78年にヨシムラで勝って以来、2度目の鈴鹿8耐優勝です。80年から世界耐久選手権となって、80年には初代世界耐久チャンピオンとなったRS1000でしたが、81~82年にはカワサキKR1000に、83年にはGS1000Rに世界チャンピオンの座を奪われてしまいます。
84年からマシン排気量が750ccに変更される準備として、1000ccまでOKの84年に850ccエンジンを投入したマシン。世界耐久選手権シリーズに出場しますが、850ccのアンダーパワーに苦しみ、シーズン中に排気量アップをされ、鈴鹿8耐出場時には928cc仕様を投入。ゼッケン3はメインチームのフレッド・マーケル/ジョン・ペタンコートで、マーケルはのちにAMAスーパーバイクを3度制し、ワールドスーパーバイクも2回制覇! 鈴鹿8耐もこの年の翌84年大会をボールドウィンと勝ってます!
この年からマシン排気量が750ccリミットとなり、デビューしたRS750R。V4、ギアトレーンという、その後も続いて行くホンダ最強マシンのスタート地点ですね。世界耐久選手権も、このRS750Rでホンダが4年ぶりにチャンピオンを奪還。まだダウンチューブ付きアルミフレームを採用していた最後の時代で、ゼッケン2はベルギー・スパーフランコルシャン24時間耐久の優勝者、ジェラルド・コードレイ/パトリック・イゴア/アレックス・ビエラ車。
ケニー・ロバーツ/平 忠彦組が出場したことでも知られる1985年のRVF。両持ちスイングアームの最終型で、ロスマンズカラーのゼッケン1は前年の世界耐久チャンピオン、ジェラルド・コードレイ/パトリック・イゴア/アレックス・ビエラ組のマシン。この年の8耐はワイン・ガードナー/徳野政樹組が優勝。8耐には片持ち「プロアーム」仕様車もデビュー。ガードナー車は両持ちでした。この年から鈴鹿8耐が社会現象と呼ばれるほどのビッグレースとなりました。その主役にいたのは「勝てないヤマハと憎たらしいほど強いホンダ」だったように思います。ちなみに筆者も、この年から鈴鹿8耐にハマりましたw ロスマンズがなんなのかもわからないままカッコよすぎて大好きでした。
この年は世界選手権じゃなく、「世界耐久カップ」の1戦として行なわれた鈴鹿8耐。ワイン・ガードナー/マイケル・ドゥーハン組という、世界GPのバリバリがペアを組んでポールポジションを獲得! ガードナーが転倒、その後のすさまじい追い上げで2位に浮上しながらも、今度はガス欠に見舞われるという暴れん坊ぶりを見せつけましたw 90年の鈴鹿8耐といえば、平さんが悲願の初優勝を遂げた大会として記憶に残っていますね。
のちに「ミック・ドゥーハン」と呼ばれるようになったマイケル・ドゥーハンが初優勝を決めた91年。パートナーはワイン・ガードナー、オーストラリアペアですね。91年は前の日から雨が降り始め、曇り、豪雨という、久々に天候にたたられた8耐でした。確か、通常は午後6時過ぎに出されるライトONサインが、この年は史上もっとも早く、昼すぎには出されたはずです。この年、筆者の頭の中に残ってるのは、カワサキから出場した北川圭一/鶴田竜二組の日本人ペアが惜しくも表彰台を逃して4位に入ったことです。この頃、まだ日本人ペアの表彰台は珍しかったからねー^^
電気、通信企業の「沖電気」のスポンサードを受けた時代のマシン、印象的ですねぇ。沖電気がなんだかも知らずに熱狂し、沖電気にはそのオートバイファン、8耐ファンの入社希望が激増したという伝説の時代です。レース前にこの年限りでの鈴鹿8耐からの引退を表明したワイン・ガードナーが、ダリル・ビーティと組んで優勝。ビーティは、レース直前のケガで出場できなくなったマイケル・ドゥーハンの代役として出場したのでした。ガードナーはこれで8耐4勝目をゲット! 2005年に宇川徹に抜かれるまで鈴鹿8耐最多勝でした。
TT-F1レギュレーションのラストイヤー。今では「え?なんでそのコンビがホンダ?」と思っちゃうエディ・ローソン/辻本聡組が2位表彰台に登壇。辻本さん、ヨシムラでもホンダでも、意外にも鈴鹿8耐で優勝できていないって知ってた? レースは序盤にトップに立ったローソン、さらに次にトップに立ったマイケル・ドゥーハンが相次いで転倒し、スコット・ラッセル/アーロン・スライトが優勝! 今のところ、カワサキ初の鈴鹿8耐優勝となった年です。スライトは翌年、ホンダに移籍してダグ・ポーレンと組んで優勝。さらに95年にはホンダで岡田忠之と組んで「異メーカーで3連勝」という珍しい記録を作ります。同一メーカーでの3連覇はまだない、というのはここから来ています。
カストロールカラーのRVFといえば、97年かな、雨の8耐でのジョン・コシンスキーが思い出されますが、このゼッケン11は岡田忠之/アーロン・スライト車。このペアは95年に優勝、同一ペア2連勝(スライトは異メーカー4連勝!)が期待された96年でしたが、スライトが転んで左足薬指骨折でリタイヤしました。ホンダはワークスマシン4台投入で、その4台とも転んでしまうという珍記録。レースは芳賀紀行/コーリン・エドワーズ2世(って当時は言ってたんですよ)がヤマハに久々の優勝をプレゼント。当時の史上最年少記録でした。
この年の鈴鹿8耐はホンダが1-2フィニッシュ。すでにマシンレギュレーションはスーパーバイクでしたから、ベースマシンはRVF/RC45ですね。ラッキーストライクカラーはこの年に3連勝を狙った伊藤真一/宇川徹組の印象が強いんですが、この年は伊藤が転んで、ゼッケン4の岡田忠之/アレッシャンドレ・バロス組が優勝。レース中盤の雨の時間帯に、バロスがスリックタイヤで走り続けて、それを追っていた玉田 誠(ペアは加藤大治郎)との差を広げ、超人呼ばわりされたレースでした。雨でレインタイヤに交換したチームは、雨がやんで再びスリックに替えなきゃいけなかったのを、バロスはずっとスリックで走っちゃったんでした!
ホンダ耐久マシンがV4から並列4気筒となり、04→05年にはセブンスターカラーをまとった宇川 徹/清成龍一のCBR1000RRWが独走優勝! これでホンダは鈴鹿8耐9連覇! セブンスターですからね、エースゼッケンは7番となり、ゼッケン11は2位に入った藤原克昭/クリス・バミューレン組でした。3位にはすでにオートレースに転身していた青木治親が安田毅史とはいりました。宇川はこの優勝で前人未到の鈴鹿8耐5勝目を獲得! 「これで天下取りました!」とは宇川のレース後の名言。
ホンダの8耐10連覇を達成したマシン。カテゴリーはXXフォーミュラDiv.1で、世界選手権レギュラーチームはエアジャッキ使っていいとか、XXフォーミュラは最低重量が軽いとか、レギュレーションも混沌としていた時代でした。レギュラーチーム認定を取るべく、TSRは8耐前にスペイン(たしかアルバセテ)大会に出場したんでした。ゼッケン778はTSRホンダの伊藤真一/辻村猛車。778は鈴鹿8耐関連番組を熱心に放送してくれていたZIP-FM(FM778)のイメージナンバーで、チーム名はFCC TSR ZIP-FMレーシングチームでしたね。
メインクラスがJSBクラスとなりつつあった時代、上の778号車と別に、ワークスJSBマシンとして開発されたのが、この岡田忠之/出口 修車のゼッケン11。11号車はHRC伝統のエースナンバーでしたね。満を持して10年ぶりに登場したコーリン・エドワーズ/芳賀紀行組は、エドワーズが1回目のスティントで他車にぶつかられて転倒し、リタイヤしてしまいました。序盤にトップに立ってレースをリードした清成龍一が、フロントブレーキに違和感があって緊急ピットイン、レースはTSRホンダの伊藤真一/辻村 猛が優勝。写真の岡田/出口組は4位に終わりました。
07年はメインスポンサーが外れ、HRCカラーで参戦。スタートで岡田さんが「スタート手順違反」(ル・マン式スタートで、ちょっと早くスターティングサークルから走り出しちゃった)を取られてストップ&ゴーを課された大会でした。ゼッケン33は岡田忠之/カルロス・チェカ車。2位まで追い上げましたが、ヨシムラスズキの加賀山就臣/秋吉耕佑に優勝をさらわれてしまいました。しかしこの年の34号車は神がかり的な速さを見せていて、レース終盤には、ついにトップを走っていた加賀山が2番手の岡田をパス、つまり2位を周回遅れにしてしまったのでした。ヨシムラは1980年以来、27年ぶりの優勝でした。
鈴鹿8耐決勝日はウェルカムプラザへ!
ちなみに、青山のウェルカムプラザでは、この8耐出場マシン展示が25日まで行なわれています。近辺にお立ち寄りの際は、ぜひ♪
「それと、8耐決勝日には、ウェルカムプラザで鈴鹿8耐ライブ中継クローズドサーキットもありますので、ぜひお越しください」とはホンダ広報マンI氏よりの告知でした(笑)。