ダカールラリーのレジェンドである池町佳生氏と、マレーシアの人気ラリーへ行ってきた。1億年前から存在するというジャングルを走る、とんでもないスケールだった
Special Thanks / TRI-MUS MOTORSPORTS
アジア各国で勃興するオフロードイベント
Off1ではこの数年、アジア方面の動きに触発されて取材へ行くことが多い。サハリンでおこなわれたハードエンデューロでは、極東のハードエンデューロライダー同士が繋がっていてコミュニティを形成していることを知った。その後、僕と伊井で1年ずつ台湾のハードエンデューロを取材し、さらに極東のコミュニティに踏み込んだ。伊井は韓国のハードエンデューロにも顔を出し、Off1編集部の事務所に韓国のオフロードメディアを招待するなどして親交を深めているし、日野ハードエンデューロにもたくさんのアジアライダーが訪れていたりもする。彼らアジアのエンデューロフリーク達はルーマニアで開催されるハードエンデューロレース「ルーマニアクス」の信奉者だ。名だたるハードエンデューロライダーたちが「世界で一番辛い」と口を揃えるルーマニアクスは、彼らにとって地続きの国でおこなわれるレースでもある。数千キロの旅程を厭わず、彼らはバンを西へ向けて走らせる。
また、別の地域に目を向けると、東南アジアで開催されるアジアクロスカントリーラリーも日本のファンの間では有名だ。このレースの前身であるアジアエンデューロに、20年ほど前参戦したことがあるのだけど、すでにその頃から東南アジアではオフロードバイクへの熱が高まっていたように思う。
さらには10年以上前に、栃木のバイクショップであるハイブリッドのお誘いでマレーシアへツーリングの取材へ向かったこともある。クアンタンという街をベースにXR250R(ME08)をジャングルで乗り回した経験はあまりに楽しくて、日本でXR250Rを買い直してしまったし、灼熱のジャングルに降り注ぐスコールがあまりに気持ちよかったせいで日本のゲリラ豪雨の中でもバイクで走るのが好きになった。マレーシアツーリングの取材は、僕の人生でとても大きな意味を持っている。ジャングルをオフロードバイクで駆け抜ける経験は、まさに冒険そのものだったからだ。
アジア各地にそんなポジティブな想いしか抱いていなかったからか、ラリー界のレジェンド池町佳生さんからある日「マレーシアのラリーみたいなイベントに行くんですが、メディアをひとり連れてきて欲しいって言われてて。稲垣さん行けませんか?」とお誘いいただいた時には、何も考えずに二つ返事でOKを出していた。実は池町氏だって、どういうイベントなのかほとんどわかっていないのだが、まぁ、なんとかなるだろう。それに「同じチームでジョバンニ・サラも走るんですよ」という一言が魅力的だった。サラはイタリアのエンデューロレジェンド。僕にとってのスターだ。
Rimbaraid 2023
日時:8月31日〜9月3日
会場:マレーシア タマンネガラ国立公園一円
マジモンのジャングルを走る
招待してくれたのはトリムスさん(Tri-Mus。ムスは“ムスタファ”の略だ)。彼は砂の採掘事業で財をなした地元の名士で、93年モトクロスマレーシア国内選手権のチャンピオンでもある。いつか二人の息子をオートバイに乗せ、ダカールラリーへ参加させたいのだと夢を語る。
クアラルンプールの空港を降り立ち、トリムスさんのピックアップでレース会場へ向かうこと4時間。茶色く濁ったとある川のほとりに到着したのはもう真夜中のことだった。真っ暗闇のなかに、2〜3の浮き小屋が見える。ドラム缶を束ねて浮きがわりにし、その上に床を張って簡易のトタン屋根をつけたようなものだ。以前にもアジアクロスカントリーラリーの取材で立ち寄った際に、電気の通っていない集落で見たことがある。雨が降っていなくても落ち葉の色素で川は茶色く濁っている。「今日の宿はここだぞ」とトリムスさん。ほ、ほう…。ここですか…。池町さんと僕は顔を見合わせた。ジョバンニ・サラもここでに寝ているのだろうか。サラも池町さんもかつてのアフリカンダカール常連だ。こんなのは屁でも無いのかも知れない。僕だって野宿しながら南ア・ダカールを回ったジャーナリストだ。くじてけたまるか、でも暑いし、シャワーとかどうすんのかな? とか思っていたら、トリムスさんが「冗談だよ! ここから渡し船で渡るぞ!」と言う。それはそれで、不安だ。
エンデューロのレジェンド二人を歓迎したいトリムスさんがとってくれた宿はコテージだった。その夜は「トイレは流れにくいけどシャワーもちゃんとしてるし、おおむねすばらしいコテージですね」と言って就寝したのだが、とんでもないところに来てしまったと実感するのは、翌朝のことだった。
僕らがたどり着いた会場はタマンネガラ国立公園。仙台弁のような地名だが、アドベンチャー好きにとっては最高のロケーションなのだそうだ。全4,343平方キロメートル、実に
まずはコテージを徒歩で出発。ジャングル内は熱帯特有の板根(ばんこん、と読む)がそこかしこに張り巡らされていて階段のようになっているのだが、ダートバイク乗りにとっては「根っこ地獄」にしか見えない嫌な風景かもしれない。樹木の大きさは数十メートルを軽く超える巨大なものばかりで、それに幾重にも太い蔦がからまっている姿を目の前にすると、アーアアー……と叫んで枝から枝へと飛び移りたくなること請け合い。巨大なムカデにおののいたり、道の脇をゆく猿の集団と一緒になりながらトレイルを歩んでいく。東京を遙かにこえる蒸し暑さでTシャツを絞れば汗がしたたるほどだというのに、なぜかストレスがない。2kmほど延々と整備されたトレイルを登っていくと、タマンネガラ国立公園を一望する丘へついた。巨大なジャングルの木々が、延々と連なっていて樹海を形成している。ガイドを連れていけば、50km奥へも探検することもできるそうだ。また、ジャングルの中には一晩泊まり込んで動物を観測できる小屋(ブンブン)もあり、自然愛好家たちに大人気なのだとか。そうそう、『水曜どうでしょう』でもそのブンブンが最終目的地だった。
足に自信のない人はボートを貸し切って回るといい。交渉すると2時間1万円程度で、川を巡ってくれる。浅瀬が多く、そこそこ急流もある川巡りは若干の緊張感を伴うものだが、気温38度を超える森の中より圧倒的に涼しく快適そのものだ。僕と池町氏も空いた時間でボートをチャーターして、虎を探しに旅に出た。結果的に虎を見つけることはできなかったけど、コブラを見た。あんなものにトレイルで出くわした日にはどうしたらいいのかわからない。
前置きが長くなったが、これがタマンネガラ国立公園。リンバレイドは、このタマンネガラ国立公園を半分以上通るジャングルレースである。国立公園内を走るという意味では、富士山と青木ヶ原樹海でレースをするようなものだろうか。最高かよ。
デカいバイクでワイルドに走る。プリミティブなダートバイクへの憧憬
リンバレイドにはどんなバイクが適しているのだろうか。池町氏にはKTM 690ENDURO、ジョバンニ・サラにはKTM 790アドベンチャーが用意されていた。大きめなバイクでかっ飛ばせる痛快なレースなのかな? と思いきや、集まってくるバイクは非常にバラエティに富んでいる。300EXCのような難所に強いタイプのマシンもあれば、CRF300RALLYなどのカウルがついたトレールも多い。リッターオーバークラスでは、1290アドべンチャーやハーレーのパンアメリカの姿も見える。その多くはコテコテにモディファイされていて、日本のセンスとはだいぶ方向性が異なるものだ。どうもラリーレイドというレースに対しての憧れがひときわ強いようで、どのバイクも原型をとどめていない。なお、昨年の優勝者はテネレ700なのだと言うから、難しいセクションはないハイスピード系レースなんだろう、と取材班も池町氏もサラも高をくくっていた。前日に行われるスタート順決定戦のプロローグもとても短いフラットダートで、ほんの30cmほどの飛び出しがある小さなジャンプがある程度のダートトラックライダーが得意としそうなシチュエーションだった。
池町氏は日本から持ち込んだシンコーのタイヤに履き替えて準備完了。サラは前後のチューブをダブルチューブ(1本カッターナイフでかっさばいて、タイヤとチューブの間に挟んで強化する方法)に。「このレースはしっかり一般車の侵入を止めているのか」「チューブはもっと厚いモノはないのか」とありとあらゆる質問をするサラ。御年59歳、マレーシアのレースにおいても手を抜くことはない。勝ちたい、その一心がつぶらな瞳の奥に見える。
コースはマーカーで示されていて、さらにジオグラフィカ(登山などで使われるアプリ。携帯の電波がないところでもGPSを補足してくれる)などで使えるGPXデータが配布される。主催によれば、GPSマップがもっとも信頼のできるルート指示で、コースマーカーは信頼するなとのこと。バハ1000などでもたびたび問題になるのだが、現地民によってマーカーが剥がされてしまったり、向きを変えられてしまうアクシデントが後を絶たないためだ。GPSマップを辿るレースは、ルーマニアクスやルーフオブアフリカなどでも採用されていて、世界的に見ても実績のあるレースフォーマットである。
レース本番が始まってみると、先行するサラと池町氏はランデブー走行へ。赤土のスリッパリーな路面が延々続くが、だんだんペースがつかめてくる。序盤、サラは池町氏の目の前で痛恨のスタック。池町氏は見捨てるわけにもいかず、重い790アドベンチャーの引き上げを手伝うことに。5分ほどロスしながら二人はGPSでルートを必死に追う。「大きなバイクで走れないことはないけれど、エンデューロバイクで走るほうが速い。JNCCくらいの難易度じゃないですかね」と池町氏はレース後にコメントしている。一部しか取材班は見れていないけれど、熱帯雨林らしく常に雨水が路面を侵食していて、いやな深さの轍も、ぬかるんだ湿地帯を通ることも多い。ガソリン補給地は「サンドバンク」と呼ばれる文字どおり砂の土手で、油断すると即スタックしてしまう深いサンドだった。700クラスのバイクで出たいかと言われると答えはNOだ。こういうシチュエーションではエンデューロバイクがぴったりはまるはずだ。エルズベルグロデオにテネレ700で挑戦したポル・タレスのように、本来エンデューロバイクで走るところをビッグバイクで走ることに面白さを見出す種類の人間がいることは僕も重々承知しているんだけど、このレースに参加している人々はどうやらそういった類の人種ではなさそうだ。
だが、そのサンドバンクで得意げに700やあるいは1000オーバーのビッグバイクのスロットルをワイドオープンにして、凄まじい迫力で駆け抜けていくアジアのライダー達を見続けていたら、そもそもレースだから有利なバイクを選ぶという考え自体が間違っているのかも知れないと思い始めた。勝つために300ccのエンデューロバイクを選ぶとか、そういうことじゃないのではないかと。僕たちは、細分化されたうんぬんのせいで、頭でっかちになりすぎていたのかもしれない。
「カッコイイだろ、俺のテネレ700。マフラーは抜けがいいFMFに変えてあって、爆音だぜ。聞いてみる?」とレース前に煽って見せたタイ人。まじでうるさい。「マディなんてデカイバイクで全開にしたら抜けられるさ」と言うマレーシア人。パドックでは、ほとんど直管のマフラーからツインエンジンの聞いたことのないようなレブ音がたくさん聞こえてきていた。カッコイイバイクで、速く走る。彼らの思考はとてもバイクに対してプリミティブなんだと思う。どれで走ったら有利か? と聞いてみたら、「俺のバイクじゃない?」とみんなが言う。細かいことはどうだっていいのだ。
池町氏はその後、ペースをあげて8位でレースを終えた。サラは23位でゴールし、おおいに悔しがった。
リゾートレース
実はこのレース、僕と池町氏より1週間も前にサラは現地入りしていた。「家族旅行で来てるんだよ。ジャングルを回ったり、クアラルンプールを観光したりしてるんだ。ご飯も美味しいし、マレーシアは好きだよ」とサラは言う。長いこと独身だったサラだが、現役を退いてなお20年は経とうかという時に結婚、59歳にして10歳の息子がいる。サラの息子ラウルは、現地で友達を作って毎日走り回っていた。
約1週間の旅程を組まれていたが、レースデイが始まる2日前に現地入り。移動に1日、準備に1日、車検や下見に1日、プロローグに1日、レースに1日、そして表彰式に1日とおそろしくゆったりしたペースで進行する。暇な時間はもちろん多いのでジャングルをじっくりトレッキングすることもできるし、日頃の疲れやストレスを大自然の中でゆっくり癒やすこともできる。そんなところが東南アジアのオフロードライダーたちを魅了するのだろうか、2000kmほどの旅程を組んでこのレースへやってくる人もいるほど人気が高い。これで2年タマンネガラ国立公園を走ったから、トレイルを保護するために次回はサバという土地でおこなわれるそうだ。また、日本人には馴染みの無い土地だなと思ったら、これは日本でも知られるキナバル山を含むキナバル国立公園のことらしい。カリマンタン島のジャングルで思う存分レース。おそらく来年には広く日本人にも参加できる道が開けるはず。ぜひ楽しみに朗報をお待ちいただきたい。