市販車に先んじて車体の重要性を認識したモリワキ
沢渡が初出場の鈴鹿4時間耐久で優勝、そのご褒美に「撮影スタッフ」として参加が許された翌日の鈴鹿8耐で、撮影車として使用されたのが、このモリワキ・モンスターだ。車名の「モンスター」は78年ごろから使われ始めたが、オリジナルアルミフレーム+カワサキZ1000エンジンを使用したのは81年が初めてだった。
MORIWAKI MONSTER [1981]
写真は1981年の鈴鹿8耐に出場したマシンで、ゼッケン14は、あのワイン・ガードナーが日本デビューでライディングしたマシン。
モリワキの総帥・森脇護さんは、元はレーシングライダー。ヨシムラにエンジンチューニングを依頼したが、フレームはノーマルのままだったため、車体の重要性を認識。自ら「モリワキエンジニアリング」を設立し、オリジナルフレームの開発を始めるのだ。小排気量レーサーのオリジナルフレームを製作する傍ら、ヨシムラへの技術支援として、ヨシムラがアメリカで走らせるカワサキZの補強フレームも製作。さらに、ノーマルの鉄フレームをクロームモリブデン鋼でオリジナル製作し、その次に製作したのが、このオリジナルのアルミフレームだった。
![画像: アルミ角パイプフレームを使用する以前のモンスター。写真はZ1-Rだが、外部からハッキリとは見えないフレームには、ノーマル + 補強、または鉄パイプからクロモリパイプを使用するオリジナルにトライしていた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782548/rc/2017/07/14/2b9e495d1fafafc53cb5d8511ef545187bdf5314_xlarge.jpg)
アルミ角パイプフレームを使用する以前のモンスター。写真はZ1-Rだが、外部からハッキリとは見えないフレームには、ノーマル + 補強、または鉄パイプからクロモリパイプを使用するオリジナルにトライしていた。
すでに世界GPレースでは始まっていたフレームへのアルミ使用だが、市販車がアルミフレームを採用するのはもっと後で、83年のスズキRG250Γが最初。その2年も前に、鈴鹿の小さな工場でしかないモリワキが製作、実用化していたのだから驚きだ。
そして81年の鈴鹿8耐に初出場したガードナーは、このモリワキモンスターで、2分14秒76という当時のコースレコードをマークしてポールポジションを獲得。このタイムは、それまでのコースレコードを2秒(!)近く上回り、予選2番手を獲得したヨシムラのグレーム・クロスビーのタイムよりきっちり1秒速かった。鈴鹿初登場のルーキーが驚速タイムをマークできたのは、モリワキオリジナルのアルミフレームのおかげでもあっただろう。
![画像: 市販車に先んじて車体の重要性を認識したモリワキ](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782548/rc/2017/07/14/18cc9c157a2b2e51d5de3e173c0ecc172ca91e6f_xlarge.jpg)
ちなみに作中では、沢渡が1000ccの大パワーに圧倒されながら、1スティントのみ、トップを走るヨシムラのデビッド・アルダナと互角のペースで周回。最終的には両者接触で転倒して脱落してしまうのだ。
![画像: 初めて乗る8 耐マシンがモリワキモンスターとなった沢渡。その圧倒的なパワーに驚愕するが、ブルーウエイレーシングの風羽に引っ張ってもらい、コツを掴む。ここでも天性のカンの良さを発揮。©️新谷かおる](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782548/rc/2017/07/14/fd053474cf4e83c9bcc841738e7981ceef16589b_xlarge.jpg)
初めて乗る8 耐マシンがモリワキモンスターとなった沢渡。その圧倒的なパワーに驚愕するが、ブルーウエイレーシングの風羽に引っ張ってもらい、コツを掴む。ここでも天性のカンの良さを発揮。©️新谷かおる
協力:株式会社KADOKAWA