そんなわけで若桜路ツーリングを満喫したのですが、
「若桜鉄道SL走行社会実験」(4月11日)は大盛況でした!
(ちょっと鉄分多めですが、お付き合いくださいね。)
ちなみに、私、前日の4月10日に御挨拶させて頂こうかと
若桜鉄道さんの本社がある若桜駅に行ったのですが、
前回「隼駅まつり」でできた御縁のおかげで、
明日の本番を迎えるSLの最終チェック中の車庫にお邪魔させて頂きました!
車庫では報道関係者の方、鉄道ライターさん、カメラマンさん等々が
最終チェックを見つめます。テレビ中継も入り、山田社長も大忙し。
そもそもこのSL・形167号機は、かつて旧国鉄・若桜線を走っていたSLで、
何十年も兵庫県多可町(旧加美町)の公園に保存されていました。
詳しくはこちらを(↓)
http://osaka.thepage.jp/detail/20150204-00000014-wordleaf
そして、SLで若桜鉄道を元気にしようと約60年ぶり、
2007年にこの地に戻ってきたんです。
たくさんの有志の方々、地元の方々の協力があって実現した、SLの帰還。
そして、「SLを本線で走らせたい」という強い願い。
そのSLを社員十数人の鉄道会社が走らせようというのですから、
大変なのは想像に難しくないです。
また機関車の方向を変えるための転車台も放置されていたところからの
スタート。SL、SLに必要な施設、知識、技術、すべてが1からのスタートから、
たくさんの関係者の協力を得て、
今回SL走行社会実験をするまでになったのです。
当日の午前中はくもり時々雨。若桜駅に向かう満員の車内の中で
「天気、大丈夫だろうか。たくさん集まってくれるといいな」と話す
鉄道ファンの声もありました。(この日は雨なので、列車で移動することに)
ですが、終着の若桜駅に到着すると出発式を待つ、たくさんの人、人、人。
そしてたくさんの期待を乗せて汽笛とともに若桜駅を出発。
国道29号はSL走行を見たい人で渋滞の列。
当日は混乱を見越して沿線沿いにはたくさんのパトカーや白バイ、
ヘリが配備され、一部交通規制も実施されていました。
日本の駅で「ぴ」で終わる唯一の丹比駅。人、人、人。
徳丸駅と八東駅の間にある第2東川橋梁に入る頃には
みんなの願いが通じたのか、天気も回復。
C12を先頭に復路への出発式典。
10時55分に出発したSLは若桜駅12時着、無事に走り終えました。
この日沿線では特別イベントも開催されていましたが、
八東駅では「隼駅を守る会」の皆さんもイベントを盛り上げていましたよ〜。
この日の晩は、大成功を祝して打ち上げが
行なわれている隼駅のみなさんに合流させて頂きました♪
せっかくなので私も隼に跨がらせて頂きました。
そして、なぜかヘルメットを2個お持ちとのことで、隼タンデムツーリングへ。
まさか隼に乗らせて頂くとは(^^) ありがとうございます、
奈良からいらした山村さん!
45年ぶりに本線を走行した“地方創生号”と名付けられたSL。
人口三千人の地区に、その勇姿を見ようと集まった人々は1万3468名。
4月17日の山田社長のメールにはこう配信されていました。
「営業列車を運休し、日中に線路閉鎖をかけて車籍の無いSLを走らせるという前代未聞の実験を無事終了できたのは行政、地域団体、住民、沿線企業から成る「若桜鉄道SL走行社会実験沿線サポート委員会」、鳥取県警、そして若桜鉄道社員とサポーターの尽力のおかげです。当日は300人以上のスタッフが警備や駐車場誘導などにあたりました。お金が無いので、スタッフの大多数はボランティア。沿線企業の協賛、各地の鉄道会社・鉄道趣味店・鉄道ファンに告知いただき、マスコミにも報道された結果、沿線に13,468名もの方々が集結しました。皆様がそれぞれの立場や特技を活かして実験に参加頂いたからこそ、この成果を勝ち得たと感謝しております。本当にありがとうございました。これからが肝要です。経済波及効果を算出し、若桜鉄道を使った鳥取県東部の活性化策を皆様と考え形作る段階に入りますので、引き続きご指導・ご支援のほどお願い申し上げます。」
バイク乗りの間では、「道はつながっている」なんて言いますが、
鉄道でも「レールはつながっている」んですね。毎年全国から隼乗りが、
聖地隼駅を目指して飛来する「隼駅まつり」、
地域活性化に大きく貢献しているこの大イベントも
今回のSLを走らせる大きな力になったのでは、と思います。
大きな一歩を踏み出した若桜鉄道——。
これからの本格復活への実現に向けて応援しています!
(終わり)