初代CBR900RRが登場してから32年、今日まで長年続いてきた歴代「ファイアーブレード」に接し続けてきたエキスパートの3人に、今後の1000ccスーパースポーツのあり方、そしてファイアーブレードの過去・現在・未来をアツく語っていただきました!
 
※この記事はウェブサイト「HondaGO バイクラボ」で2025年1月28日に公開されたものを一部抜粋し転載しています。
まとめ:宮﨑健太郎/写真:南 孝幸
(初出:月刊『オートバイ』2025年1月号)
画像: (右)伊藤真一(いとうしんいち)|Astemo Honda Dream SI Racing 代表 1966年、宮城県生まれ。1988年ジュニアから国際A級に昇格と同時にHRCワークスチームに抜擢される。以降、WGP500クラスの参戦や、全日本ロードレース選手権、鈴鹿8耐で長年活躍。現在は監督として「Astemo HondaDreamSIRacing」を率いてJSB1000クラス、ST1000クラスなどに参戦! 当研究所の主席研究員。 (中央)須貝義行(すがいよしゆき)|JSB1000最高齢ライダー 1966年、宮城県生まれ。1985年にロードレースデビュー。1989年国際ライセンスを取得し、全日本選手権、鈴鹿8耐などで長年活躍。1995年は世界GP(現在MotoGP)125ccクラス参戦。1998年には米デイトナで日本人初優勝を記録。 (左)太田安治(おおたやすはる)|月刊『オートバイ』一筋48年! 東京都出身。元ロードレース国際A級ライダー。1976年から月刊『オートバイ』の試乗テスターなどを担当し、今まで試乗した車両は5000台を超える!

(右)伊藤真一(いとうしんいち)|Astemo Honda Dream SI Racing 代表
1966年、宮城県生まれ。1988年ジュニアから国際A級に昇格と同時にHRCワークスチームに抜擢される。以降、WGP500クラスの参戦や、全日本ロードレース選手権、鈴鹿8耐で長年活躍。現在は監督として「Astemo HondaDreamSIRacing」を率いてJSB1000クラス、ST1000クラスなどに参戦! 当研究所の主席研究員。

(中央)須貝義行(すがいよしゆき)|JSB1000最高齢ライダー
1966年、宮城県生まれ。1985年にロードレースデビュー。1989年国際ライセンスを取得し、全日本選手権、鈴鹿8耐などで長年活躍。1995年は世界GP(現在MotoGP)125ccクラス参戦。1998年には米デイトナで日本人初優勝を記録。

(左)太田安治(おおたやすはる)|月刊『オートバイ』一筋48年!
東京都出身。元ロードレース国際A級ライダー。1976年から月刊『オートバイ』の試乗テスターなどを担当し、今まで試乗した車両は5000台を超える!

全日本最終戦の気になる舞台裏

太田:10月末のMFJグランプリ、良いレースを観せてもらった。2位の野左根(航汰)くん、やるじゃん!

伊藤:全日本JSB1000最終戦で表彰台に上れましたが、航汰が頑張りましたね。うちのキット車(CBR1000RR-R)で鈴鹿を予選2分4秒台。決勝では5秒台のペースだったら、ファクトリー車を相手に戦える。速いでしょ?(笑)。

須貝:速いよね~。他のCBR勢よりラップタイムが1秒くらい速い。その速さの秘密って何?

伊藤:車両に関してはいろいろな要素はありますけど、一番は軽量化ですね。関係者のみんなで各部の軽量化を頑張ったのが効きました。

太田:今のCBR用レースキットは、昔の2スト時代のGP車で例えると「Bキット」くらいの内容なの?

伊藤:レベル的にはBキットもないですよ。バルタイを微調整できるカムスプロケットはキット内容にありますが、カムシャフト自体は用意されていません。野左根の車両もガスケットを代えて圧縮比を調整しているだけで、エンジンは実質ノーマルみたいなものです。やはり一番はライダーですね。表彰台に上がったレース2は途中セーフティーカーが介入しましたが、再開のタイミングの時に野左根は「オレの出番だ!」ってノリで狙っていたみたいです(笑)。彼はスゴイですよ。その実力はシーズン開幕前の、自分の想像をはるかに超えてました。

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