NSR250Rの時代の終わりと同時に
レーサーレプリカブームも終焉を迎えたころのお話。
レーサーレプリカブームを飲み込んだのは「ネイキッド」ブーム。
1psでも多く1gでも軽く、という高性能競争は
いつでもどこでも誰にでも楽しめるオートバイ探しへと向かったのです。
超高性能を打ち破った普通さ
![画像: 89年4月発売のZEPHYR=ゼファー 空冷DOHC2バルブエンジンは、数世代前のGPZ400系のエンジンを転用](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783527/rc/2023/11/27/b7907f9f0d03723e73d22c69096dda33e0cc6069_xlarge.jpg)
89年4月発売のZEPHYR=ゼファー 空冷DOHC2バルブエンジンは、数世代前のGPZ400系のエンジンを転用
89年3月に発売されたCB1は、レーサーレプリカといえるCBR400RRのエンジンを使用したネイキッドモデルだ。
ちょうどこの時期によく言われるようになった「ネイキッドモデル」とは、ネイキッド=裸=ノンカウルのオートバイというだけではなく、レーサーレプリカとは一線を画す、決して高性能ばかりを追い求めない、いつでも誰でもどこででも、気持ちよくオートバイのライディングを楽しめる――そんな定義のモデルだった。
![画像: CB1はCBR400RR用のDOHC4バルブ4気筒エンジンを転用していた](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783527/rc/2023/11/27/277b1a0819c5717099b7ce97abe2d1e245c81a01.jpg)
CB1はCBR400RR用のDOHC4バルブ4気筒エンジンを転用していた
そのネイキッドモデル人気が爆発したのが、CB1の翌月に発売されたカワサキZEPHYR=ゼファー。これが、CB1を遥かに凌ぐ「ネイキッドモデル」っぷりだった。
CB1が、CBR400RRの水冷並列4気筒DOHC4バルブエンジンを転用していたのに対し、なんとZEPHYRはZXR400ではなく、そのひと世代、いやふた世代まえのGPZ400系空冷エンジンを採用。リアサスも、CB1のモノサスに対し、2本サス。全体のスタイリングも、なんだか新しさを感じさせるCB1のスタイリングに対し、ZEPHYRのそれは、なんとも古臭い、完全に時代に逆行したような「カワサキZ」の形をしていたのだ。
――これはカワサキ、やっちゃったナ。
――いくらなんでもこれはない。
――狙いはわかるがやり過ぎたかな?
当時のZEPHYRに対する評価は、そんなネガティブなムードが大部分だったように思う。行き過ぎた高性能競争のはてに、ユーザーはもっと「乗りやすい、扱いやすいバイク」を望んでいたのはわかる。けれどこれじゃない、と。
![画像: 87年1月に発売された日産Be-1 世の中に「レトロブーム」という言葉があふれた](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783527/rc/2023/11/27/34a4379489509b77a53e4e8b557eb823519a1880_xlarge.jpg)
87年1月に発売された日産Be-1 世の中に「レトロブーム」という言葉があふれた
折しも当時は、世の中も「レトロブーム」なんて言葉がもてはやされていて、クルマもなんだかレトロなスタイリングの「パイクカー」なんてカテゴリーに注目が集まっていたし、家電製品やファッションも、レトロなものを消費者が求めていたのだ。ちなみに大ヒットモデルの日産Be-1が発売されたのは87年1月。少し遅れたけれど、遅ればせながらオートバイ界もこの流れに乗ったのだ。
訳知り顔のジャーナリストやメディア関係者のネガティブな予想とは裏腹に、ZEPHYRは売れに売れた。デビューの89年こそ、発売が4月だったために販売台数では3か月分がカウントされず、VFR400Rにベストセラーの座を持っていかれてしまったが、90年には400ccクラスベストセラーとなり、ZEPHYRはその座を91年~92年もキープ。目新しさがウケたのでないことは、90年より91年、91年より92年の方が販売台数が多かった(!)ことにも現われていた。
![画像: NSR250Rの最終モデルが、このMC28 96年デビュー、99年頃まで販売されていた](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783527/rc/2023/11/27/5bec0926f601bec7faa4d32696737cd1e44032c6_xlarge.jpg)
NSR250Rの最終モデルが、このMC28 96年デビュー、99年頃まで販売されていた
![画像: MC28はイグニッションにカードキーを採用 プロアームもNSR250Rシリーズに初採用された](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783527/rc/2023/11/27/5c2136347e299d2dc55b04f635a4c050b1f5574c_xlarge.jpg)
MC28はイグニッションにカードキーを採用 プロアームもNSR250Rシリーズに初採用された
けれど、NSR250Rは孤軍奮闘。87年はFZR250に、89年はCBR250Rにベストセラーの座を譲ったが、88年、90~92年には販売ランキングトップの座をキープ。
しかしNSR250R人気=レーサーレプリカ人気もとうとう終了。93年には「ZEPHYRの250cc版」ともいえるネイキッドモデル、BALIUSに首位の座を明け渡し、その後も250ccの人気ナンバー1は94~95年にはVツインマグナ、96年はマジェスティ250、97~2000年はTW200がその座を奪うことになる。レーサーレプリカブームは、こうして終焉を迎えたのだ。
![画像: TZRの最終モデルがこのSPR 95年に発売され、これも99年頃まで発売されていた](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783527/rc/2023/11/27/16514726b4c7b59048cd24e7b05f69f5f07b3722_xlarge.jpg)
TZRの最終モデルがこのSPR 95年に発売され、これも99年頃まで発売されていた
![画像: Γファミリーのラストはフルモデルチェンジの96年型VJ23A ライバルたちがカラー変更やバリエーション追加などで販売を続けていたのに対し、スズキの最終モデルはフルモデルチェンジだった!](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783527/rc/2023/11/27/797b6ff2db5070632fb10dd80af5c24a4f891a75_xlarge.jpg)
Γファミリーのラストはフルモデルチェンジの96年型VJ23A ライバルたちがカラー変更やバリエーション追加などで販売を続けていたのに対し、スズキの最終モデルはフルモデルチェンジだった!
レーサーレプリカの象徴であるNSR250Rは、93年に片持ちスイングアームやメモリーカードキーを採用したMC28にモデルチェンジし、96年を最後に生産を終了。NSRのライバルだったTZRは95年のTZR250SPR=3XVCを、RGV250Γは96年のセルつきVJ23Aを最終モデルとして生産を終了。時代が2000年の声を聞くころには、2ストローク250ccのレーサーレプリカというジャンル自体が消えてなくなってしまったのだ。
<この項おわり>
写真/モーターマガジンアーカイブ 文責/中村浩史