Off1.jpでもすでに何度も記事化しているが、保坂修一(ホサカ ヨシカズ)を改めてしっかり紹介しておきたい。すでにエンデューロファンには若手のトップライダーの代表としてその名が広く知られているが、その秘めた可能性はまだまだこんなものじゃないはずだ。

ビバーク大阪との出会い
そして独り立ち

画像: 左:長女アスナ、中央:ヨシカズ、右:父・一洋さん

左:長女アスナ、中央:ヨシカズ、右:父・一洋さん

そして2019年、ヨシカズはマシンを長年親しんだヤマハYZから、GASGASにチェンジした。キッカケはJEC全日本エンデューロ選手権の日高2デイズで好成績を残すために、ナンバーが付くレーサーを探していた時、GASGASから声がかかり、試乗して決めたという。

2020年、ヨシカズにとって大きな転機が訪れた。

「なんでイタリアに行ったか、ですか。実は将来のことで色々と悩んでいた時に、ちょっとJECで頑張る意味を見失ってしまっていた時期がありまして、ちょうどその時にガミー(大神智樹)がEnduro GPに出るって聞いたので、付いていきたいって手を挙げました。本当は走れたら最高だったのですが、僕にはそんな環境はなかったので、まず見に行きたい。世界のレベルを自分の目でしっかりと見てみたいと思ったんです」

大神智樹が「世界に通用するエンデューロライダーを育てる」を目標に活動しているGAMMy with Young Gunsで、イタリアGPを見に行ったのだ。

画像: ビバーク大阪との出会い そして独り立ち

「スピードもテクニックも明らかに違う。自分と同年代もそうだし、日本のトップと世界のトップの差を痛感しましたね。じゃあ果たして日本でチャンピオンを獲ったとして、それでエンデューロが速いって言えるのかな、と。せっかくやるからには世界を目指したいって、気持ちがシフトしたんです。「俺はこのレース(Enduro GP)に出て、活躍するために、いま頑張ってるんだ」という考えになりました。そのためには日本では余裕を持って勝てるくらいじゃないとダメなんです」

そしてイタリアから帰ってきて3ヶ月後、ヨシカズは家を出た。

「ガミーに「まずは自立しろ」と言われました。親に頼らず、自分の力だけでレースできる環境を作れ、と。なのでお世話になっていたビバーク大阪の杉村さんにお願いして、お店のスタッフとして雇ってもらい、常にバイクに触れていられる環境に身をおきました。分解整備の免許は持っていないので、スタッフ兼テストライダーみたいな感じです」

実はヨシカズは中学を卒業した後、5年制の高専に通って整備士の勉強をしていたが、バイクに集中するため2年で中退していた。その後、通信制の高校に通い、卒業している。

「一人暮らしを始めたら、しみじみと親の大切さがわかりました。毎日、母親に感謝しながら家事をしています。19歳で仕事しながらレースしているエンデューロライダーって日本にはなかなかいないと思うので、自分より下の世代に、こんなライダーもいるんだっていう一つの事例になれたらいいな、と思っています」

ヨシカズはいま、整備力とライディングを磨くことに集中できる最高な環境にいる。練習は基本的に週2〜3日のペース、ウッズ下市やプラザ阪下に通っているという。

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