実は、今年のISDE(インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ)参戦はこれまでと大きく違う意味を持っている。目標をシングルフィニッシュに掲げているほど、トロフィーチームのライダーの平均レベルが高いことも一つの理由だが、トロフィーチームとクラブチームが一緒に参戦計画をたて、「チーム・ジャパン」としてのサポート体制がこれまでになく充実している点に注目したい。

戻ってきた最高の環境「今後も続けていきたい」

画像1: 戻ってきた最高の環境「今後も続けていきたい」

これまでもネット上で幾度となく打ち合わせを重ねてきた日本チームの面々が、8月4日、栃木県木霊の森で実際に顔を合わせて、合同練習とミーティングを行った。充実した話し合いができたのはもちろんだが、初めて顔を合わすメンバーも多く、真面目な話の合間に挟まれるジョークに共に笑い、チームや世代を超えて打ち解け合うことができていた。

画像2: 戻ってきた最高の環境「今後も続けていきたい」

現在、トロフィーチームを引っ張っている釘村忠は

「当初、僕たちトロフィーチームは応援してくださるメディアの方々やJECプロモーション様の力を借りて、単独で動いていたんです。そうしたらクラブチームを率いて参戦する予定だった寺嶋さんが、一緒にサポートしようか、と誘ってくださったんです。

僕も含めて、ISDEどころか海外レースすら初めてのメンバーが多いため、言葉や食事の面など不安なことばかりでした。ところがISDE経験の豊富なクラブチームやサポートチームのみなさんと一緒に行けることになって、精神的にかなり助けられました。現地でも日本語でコミュニケーションが取れることが、とても心強いです。

1日300kmのレースを6日間やるのも初めての経験ですから、体調コントロールをしっかり行って、まずは完走。そして最終的な目標はトロフィーチームとしてのシングルフィニッシュ。誰一人脱落することなく、チーム一丸となって取り組んでいます。その結果としてゴールドメダルがついて来れば、最高ですね。

かつてないサポート体制で、かつてない豪華なチームで参戦することができますので、応援してくださる皆さんの期待に応えられるように、精一杯頑張って来ます。そしてこれからISDEに出たいと思っている若いライダーたちにもどんどん続いてもらえる環境を一緒に作っていきたいと思います」

とコメント。

画像: 2006年、はじめてのワールドトロフィーに選出された池田智泰。日本のパドックで、一体となって戦った

2006年、はじめてのワールドトロフィーに選出された池田智泰。日本のパドックで、一体となって戦った

日本は、ワールドトロフィーを始めて出した2006年に、やはり一つのチームジャパンとしてまとまって動いていた。その頃はメーカーのサービスがなく、日本から欧州にわたってレースすることのハードルがとても高かったことにもよる。年を経て、ISDEが身一つでも戦えるシステム進化するにつれ、こういった「日本」のまとまりは失われつつあった。今こうして「チームジャパン」として戦えることは、とても大きな意味があるのではないだろうか。

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