全日本モトクロス選手権レディースクラスを主戦場とする本田七海が、2度目のアメリカ挑戦で見たものとは
アメリカ・テネシー州で開催される、アマチュアモトクロスの最高峰レース「Monster Energy AMA Amateur National Motocross Championship(モンスターエナジー AMAアマチュアナショナルモトクロス選手権)」。「ロレッタリン」の通称で知られるこの大会に、全日本モトクロス選手権レディースクラスを主戦場とする本田七海が、2年連続で出場した。
2年前の夏、アメリカで

始まりは2年前の夏だった。怪我が続き、思うように乗れない状況を変えようと、本田はトレーニングのためにアメリカへ渡った。
「現地では250ccに乗りました。それまで250ccに乗ったことがなくて、アメリカで乗るとしても125ccだったので、乗る前は不安でした。でも実際に乗ってみたら、意外と乗れるって気づいて、すごく楽しかったんです」

同じ夏、本田にロレッタリンの存在を教えたのが、FMX(フリースタイルモトクロス)ライダーの東野貴行だった。本田の所属チーム「TEAM KOH-Z」の母体ショップであるセントラルモーターサイクルショップに、東野が来店したことをきっかけに親交を深めた2人。そしてFMXのデモンストレーションをロレッタリンでおこなった東野が、アメリカで会った際に大会パンフレットを本田に手渡した。それまでロレッタリンの存在すら知らなかった本田だが、そのパンフレットを見て、憧れを抱いたという。

東野自身も、元はモトクロスライダーだ。ロレッタリンを知ったのは、子どもの頃に見た1本のビデオだった。
「僕が見たのはFOX RacingのTerrafirma(テラファーマ)というビデオでした。小学3年生で、まだ60ccに乗っていた頃です。スチュワート(※1)みたいな選手が、80ccででっかい2連ジャンプを飛んでいて、こんな広いコースがあるのか、こんな速い子になりたいって、闘志を燃やしていました。ロレッタリンは、日本で言う甲子園みたいなものですよね。全米だけじゃなく、世界中からチームやスカウトが来ている。ここで良い結果を出せば、その先に夢がある。自分の才能を売り込みにいける場所なんです」
※1 ジェームス・スチュワート:モトクロス/スーパークロス界のレジェンド。1985年生まれ。アマチュア時代、ロレッタリンで当時の最多記録となる11回のタイトルを獲得した
「やめようと思っていた」ロレッタリンに挑戦して変わった気持ち
【2025年本田七海アメリカチャレンジ】Episode7 いよいよ決勝!!Monster Energy AMA Amateur National
youtu.beアメリカに挑戦したいけど、本田は現地に知り合いがおらず、その方法もわからない。そんな中、2024年の夏に1人の女性と出会う。
「当時は、ホテルを転々としながらグレンヘレンとかで練習していました。そしたらカヒーラというコースで、タミさんという女性の方が声をかけてくれたんです。"日本人の女の子で速いね"って、気にしてくれていたみたいで。私は英語が喋れないので、翻訳機を使いながら『アメリカのレースに出たいと思ってる』と話したら、泊まるところに困ってるなら家においでって。会って2回目の人に、です(笑)」

タミさん
そして2025年2月、ロレッタリンの1次予選に向けて初めてアメリカへ渡った際、本田はタミさんと連絡を取り、実際に家に泊まらせてもらったという。何もわからない状態から、一つずつ繋がりを増やしてロレッタリンに初出場した。その時感じたことをこう振り返る。
「ロレッタリンを初めて走って、日本では見られない景色が見えたんです。ただ1年目は怪我が続いて、思うように乗り込めないまま臨んだところもあって、万全な状態ではありませんでした。正直、やめようと思っていた時もあったんですけど、自分の中に負けず嫌いな部分もあって。ロレッタリンで表彰台に乗りたい、やっぱりもう一回チャレンジしたいという気持ちがずっと残っていて、今年も出場を決めました」
1年目に残ったのは「もっと練習できたら変わるのかな」という感覚。ただ、気持ちがあっても、それを実現することは簡単ではない。
「最初はアメリカだけにフォーカスして挑戦したいという思いもあったんですけど、お金やビザの問題を考えると、今すぐは難しい。日本でレースを続けながら、スポットでアメリカに行くのが一番チャレンジしやすい環境だと判断しました。2025年はIB OPENを走りましたが、去年の流れからして怪我のリスクがすごく多いんです。それに、賞金を稼がないとアメリカには行けない。スポンサーの方の想いもあり、今年はレディースクラスを走りながらアメリカに挑戦することにしました」
マシンを完璧にして挑む2年目

メインスポンサーの富士電機工業株式会社 長田さん
メインスポンサーの富士電機工業株式会社は本田のアメリカ挑戦を費用面で支え、マシン面は電機系をGETが、排気系をSAKURAエキゾーストがサポート。さらにダートフリークもパーツやウエアを提供し、本田の挑戦はこうした日本企業の協力があって実現している。さらに今年からは、KYBのサポートのもと、アメリカのモトクロスワークショップENZOがサスセッティングを手がけるなど、1年目よりも万全な体制でレースを迎えることができた。
「チャレンジするなら、マシンは完璧にして行きたい。そう相談したら、ありがたいことにできることはやるよと言っていただけました。今年からはアメリカのENZOさんにもサポートしてもらえることになって、テストもして⋯⋯。去年よりもマシンの状態は万全で、完璧に整えることができました」

出発前にはスポーツランドSUGOでGETとSAKURAエキゾーストのテストをおこなった。アメリカではレースガスを使用するため、 日本とはセッティングも変わってくる。電機系に関しては、GETが複数の仕様を用意し、現地の状況に合わせて仕様を切り替えられるようにしてくれたという。


さらに、サスペンションは、小柄な本田ならではの悩みに合わせて詰めていったという。
「自分は身長も低いし、体重も軽い方なので、250ccに乗ると突き上げが多くて、ギャップが怖く感じるんです。車高が高い感じがして、コーナーも回りにくい。そこを相談しながら、路面にペタッと吸い付くような、接地感のあるセッティングに仕上げてもらいました」
広島、北海道、そしてカリフォルニアへ
【悔しい…】2026年全日本モトクロス選手権第5戦中国大会
youtu.be準備と並行して、日本でのレースにも出場する。それは想像以上にハードスケジュールだった。
「6月のロレッタリン予選から日本に帰ってきて、大阪で荷物だけ降ろして、そのまま全日本がおこなわれる広島に乗りに行って、大阪に帰ってきて、また広島に行って全日本に出て、その後は北海道で⋯⋯と、ロレッタリン決勝に向けてアメリカに飛ぶまでずっとバタバタでした。全日本の準備とアメリカの用意を同時にしながら、先の先の先まで考えて準備していました。アメリカから帰ってきたらまたすぐ全日本があって、第7戦までかなりのハードスケジュールでした。時差ボケがしんどいと感じる暇もなかったくらいです」
そんなハードスケジュールをこなして飛んだアメリカでは、到着後カリフォルニアに約2週間滞在し、近隣のコースで乗り込んでからロレッタリンに向かった。拠点になったのは、2025年にタミさんを通じて知り合ったアヤコさんの家だ。

アヤコさん
「タミさんが、"日本人でモトクロスをしている女の子がいるけど知らない?"って、いろんな人に話してくれていたみたいなんです。そこから繋がったアヤコさんという方が"タミから聞いてるけど、本田七海ちゃんってあなた?"って、コースで声をかけてくれました。私の全日本の動画とかも調べてくれていて。縁が縁を呼んで、アメリカ遠征の時はアヤコさんのお家に泊まらせてもらうようになりました」
ロレッタリンに入る前には、オクラホマ州にも立ち寄った。
「去年アメリカから帰る飛行機で、たまたま席が隣だった人がいたんです。話してみたら彼もモトクロスをしていて、そこから連絡を取り合うようになって。オクラホマに住んでるから、1日だけでも一緒に練習しようと声をかけてくれました」
2年前はホテルを転々としていたアメリカに、今は泊まる家があり、一緒に走る仲間ができた。簡単にはいかない海外への挑戦を、本田は人との縁を繋いでいくことで、実現していった。
2度目の挑戦で掴んだもの、広がる世界


ロレッタリンの受付は、クラスごとに時間が割り振られ、丸一日かけておこなわれる。ウーマンズクラスの列には本戦に出走する42名のライダーが並ぶ。
「これだけアメリカに来ていても英語が話せないので、普通の人より時間がかかってしまいます。うまく伝わらなかったらと思うとドキドキしますし、長い行列で自分が止まっていたら申し訳ないなって気持ちもあるのですが、翻訳機を使いながら、言語の壁はなんとか乗り越えています」

ロレッタリンは、事前練習日が決勝の前日に設定されているが、決勝当日に練習走行の時間はなく、走れるのは各ヒート前のサイティングラップのみだ。事前練習走行での本田のタイムはクラス5番手。「去年私の前を走っていたライダーが出ていなくて、マシンも去年より仕上がっている。いろいろ含めて、表彰台圏内を狙えると思います」と、手応えを感じて決勝日に挑んだ。
時間とともに荒れていくコース

本戦は3ヒート制。決勝が開かれる8月4〜8日の5日間は、朝7時から19時までひたすらレースが続く。本田が出場するウーマンズクラスは、4日、6日、7日の3日間に分けて行われた。
各地方の予選を勝ち抜いた42名が、横一列に並んでスタートする。練習走行の調子も良く、手応えを感じながら迎えたMoto1だが、練習と決勝ではコースの状況がまるで違ったという。朝はフラットに整備されたコースが、走るごとに掘られていく。本田にとっては、去年も走った場所が、今年は荒れ方がまた異なり、特にギャップが大きい。WMXも経験してきた本田が「ロレッタリンが一番難しい」と言い切る路面だった。
「正直、走ることでいっぱいいっぱいでした。轍もどれに入ればいいのか迷いながら走ってしまって、ベストラインも見えていませんでした。スタートで前に出られれば、トップの子と一緒に走れて、ラインや走り方が見える。でも出遅れると、それが見れないんです」


ロレッタリンでは10位までが入賞圏内のため、8位の本田は一度入賞者が集まるテントに入る
Moto1は8位。続くMoto2も荒れた路面への対応に苦戦し、10位でチェッカー。しかし、レース後に黄旗無視のペナルティが科され、15位に降格となった。
「最初に怖いという感情が出てきてしまって。怖いからスピードが落ちるし、スピードが落ちるとバイクの挙動も大きくなる。そのままコーナーに入ると、コーナースピードも遅くなる。悪循環でした」
課題はわかっている、けどその壁が乗り越えられない。本田にとって悔しいレースが続いていた。
怖さを乗り越えたMoto3

泣いても笑ってもラストレースとなるMoto3、本田はスタートを決めて上位につけると、これまでの悪循環を断ち切るかのように、スピードを上げていく。しかし後方からはライバルが迫ってくる。
「後ろから125ccのライダーに詰められて、何回か刺されそうになりました。すごく速かったのですが、向こうも若くて、まだいいラインを探しきれていないのがわかるほどには自分も冷静に走れて、ポジションを守り切れました。Moto1とMoto2が悔しかったから、ここで抜かれたら絶対だめだと思って、意地でも勝とうと走っていました」

Moto3は8位でフィニッシュ。総合は10位だった。
「Moto3は今回一番のバトルができたし、自分の中でもちょっとは走れたかなっていう感覚がありました。最初の2ヒートは怖くてギャップを攻められなかったのが、Moto3ではスピードを乗せられるようになって、いつもなめていたところを綺麗に飛べたんです。それができた時、意外と簡単なんだって。怖さを乗り越えた先の乗り方を掴めたと思いました」

灼熱の中のレース直後

Moto3直後、指が曲がらなくなった本田。いかに限界まで挑戦をしていたかがわかる
若手ライダーが押し上げる層の厚さ
3ヒートを通して本田が驚いたのは、レディースライダーの層の厚さだった。
「去年とは顔ぶれが違っていて、去年出ていた子たちではない、若いライダーが多く出場していたんです。ウーマンズクラスでも毎回ちゃんと入れ替わりがある。さらに若いガールズクラスのレベルも高くて、その子たちは85ccや125ccで走っている。層の厚さを実感しました」

その背景に、本田は日本とアメリカの構造の違いを見ている。
「今の日本だと、レディースライダーにとって最高峰は全日本で、そこがゴール。その先は順位をいかに守っていくか、になります。さらに、たとえばジュニアクロスに出ていなくても、レディースクラスには参加することができます。でもアメリカにはガールズクラスがあって、ウーマンズクラスがある。さらに細かい段階があって、65ccや85ccでしっかり結果を出した子が上がってきているので、トップ集団のレベルも上がっていく。今年も一緒に走ったからこそ、全体のレベルが上がっていることをすごく感じました」
ロレッタリンを終えてWMXの舞台へ

ロレッタリンを終えた本田は、そのままWMX(Women’s Motocross Championship)へ向かった。同大会は、AMA公認のウーマンズモトクロス選手権で、2026年からはモンスターエナジー・スーパーモトクロス(SMX)に組み込まれ、正式名称は「Women's Motocross Championship Powered by Synchrony」。全6戦のうち、本田は後半3戦に出場した。
「去年まではAMAの会員番号があればエントリーできる、すごく簡単なものでした。でも今年はプロと同じ格式になっていて、車検やプロテクターチェックも導入されて、プロライセンスも必要になりました。ライセンスの関係で、ぎりぎりまで出場できるかどうか危ぶまれたんですけど、関係者の方々のおかげでなんとか出場できました」
本田は去年もWMXに出場した経験があり、今年はライダーの顔ぶれも変わっていたという。
「去年は基本はアメリカのライダーばかりでしたが、今年はカナダやオーストラリア、ヨーロッパからも集まっていて、さらにレベルの高いレースになっていると感じました」

なお、本田の成績は、第4戦ユナディラが7位(7-9)、第5戦バッズクリークが11位(13-12)、最終戦アイアンマンが12位(10-14)。レベルの上がった舞台で、本田は手応えと悔しさの両方を味わった。
「スタートは決まって、トップの子と一緒に走るチャンスを自分で作れたのに、そこでついていけませんでした。あそこが自分にとって変わるチャンスだったのに、というのはすごく思います。最低でも10位には入ると思っていたんですけど、転倒もしてしまって、もったいなかったです」
しかしその悔しさが、今後への思いをはっきりとさせた。

「今回ロレッタリンとWMXに出場して、もっとアメリカにいたい、アメリカでレースがしたい、という思いが去年より強くなりました。WMXにフル参戦したい。でもフル参戦となると今年より必要なものは増えるし、全日本を全戦回るよりもすごく難しいことなので、実現できるかはわからないです。それでも自分の思いが強くなったことを実感しています。現地の盛り上がりが、本当にすごかったんです。WMXはライダーの入れ替わりが早くて、次世代がどんどん出てくるし、”プロのレースとして”盛り上がっている。去年も今年もロレッタリンからの流れで後半だけの参戦でしたが、アメリカのライダーと同じようにフル参戦して、アメリカでトレーニングをしたら、自分はどう変わるのかな、と興味があります」
なお、日本国内で、同じように海外への挑戦を考えるライダーに向けて本田はこう言葉を残した。
「興味を持ったり、行ってみたいなと思うなら、早く行った方が良い。私は、もっと早く行けばよかったとすごく思っているので。何年も前から短期でアメリカにトレーニングには行っていたけど、その頃はアメリカでレースをするという選択肢が頭になかったし、ロレッタリンも知らなかった。モトクロスでレースをする=全日本、トレーニング=アメリカ、という頭しかなかったんです。ロレッタリンを知っていたら、もっと早くチャレンジできたのにって思います」
ロレッタリンを目指すまで、本田にとっての最高目標は全日本優勝だった。しかしその考えは、2度の挑戦を経てたしかに広がった。ロレッタリンの表彰台、そしてWMXへのフル参戦。新たな目標に向かって、本田七海の挑戦はこれからも続いていく。



