考察:ロレンソはなぜドゥカティへ移籍したのか

画像: いったんグリッドについて、ピットに帰ってipodして… いつものホルヘのルーティンです

いったんグリッドについて、ピットに帰ってipodして… いつものホルヘのルーティンです

では、前回にお約束していた、「ロレンソ、今シーズン初表彰台」の話題です。
ご存じのように、2017年シーズンからドゥカティ・ファクトリーに移籍したホルヘ・ロレンソ。ヤマハ・ファクトリーからMotoGPに参戦を開始したのが2008年ですから、9シーズンにわたってヤマハYZR-M1をライディングしていました。その間の成績は以下の通り。

2008年:ランキング4位   2009年:ランキング2位
2010年:チャンピオン   2011年:ランキング2位
2012年:チャンピオン   2013年:ランキング2位
2014年:ランキング3位   2015年:チャンピオン
2016年:ランキング3位

デビューシーズンにランキング4位になってからは、チャンピオン3回、ランキング2位が3回、ランキング3位が2回と、成績は現実としてほぼ100点ですね。
ただ、2011/12年以外は、チームメイトがバレンティーノ・ロッシというスーパースターでしたから、たとえランキングでロッシを上回っても、いつもセカンドライダー扱いを受けていた、とロレンソは言っています。なんでオレの方が成績出してんのに扱いがナンバー1じゃないねん、と。でもそれは…ねぇ、人気って面ではロッシの方が図抜けていますから、しょうがないっちゃぁしょうがない。ロレンソもジレンマがあったんでしょう。ヤマハもふたりの扱いに差はつけていない、と言ってるし、事実マシンやレース環境では同等の扱いをしていたはずだけど、一回そう思っちゃうとね、その思いを払しょくするのはなかなか難しいものです。

画像: ヘレスではライディングポジションも修正したというロレンソ そんな基本的なことからやるんですねぇ

ヘレスではライディングポジションも修正したというロレンソ そんな基本的なことからやるんですねぇ

画像: 5~6周目でしょうか、ロッシとドビツィオーゾを従えて走るロレンソ この瞬間、嬉しかっただろうなぁ

5~6周目でしょうか、ロッシとドビツィオーゾを従えて走るロレンソ この瞬間、嬉しかっただろうなぁ

そこで、ロレンソはチャンレンジをしました。それがヤマハからドゥカティへの移籍だったわけです。バレンティーノと同じ道具、同じ環境で上へ行って評価されないなら、違う道を選ぼう、という思いがあったんだと思います。安定して成績を残すならヤマハに留まった方がもちろんいい、それでも移籍したのは、奇しくもかつてロッシが歩んだのと同じ道、つまり挑戦ですね。
しかも、ロッシはドゥカティへ移籍して2シーズン、初年度に3位を1回、2年目に2位を2回と、優勝することができませんでした。それならオレが!と。ヤマハからドゥカティに移籍して、ロッシができなかった優勝を、そしてロッシができなかったチャンピオン獲得をしてやろう、という野心です。ロレンソは、そういう男です。何回かしか話したことはないけど、きっとそうです。
もちろん、ロッシがドゥカティに移籍した時と状況は変わっています。それでも、天才ケーシー・ストーナーが2010年を最後にホンダへ移籍したあと、ロッシもニッキー・ヘイデンも、アンドレア・ドビツィオーゾもアンドレア・イアンノーネも、ドゥカティをチャンピオンマシンにすることはできませんでした。2016年にはダブルアンドレアが1勝ずつをあげましたが、16年シーズンは優勝者が9人も出たという珍しいシーズンでしたから、ドゥカティがチャンピオンマシンに近づいた、っていう印象は薄かった、そんな状況です。

画像: 自分を信じてやってきた チームも僕を信じてくれる--それが今のドゥカティのムードでしょう

自分を信じてやってきた チームも僕を信じてくれる--それが今のドゥカティのムードでしょう 

こんなはずじゃなかった……それが赤い電気椅子の悲劇

シーズンオフのウィンターテストでは、セパンで10番手、フィリップアイランドで8番手、そしてカタールで4番手という総合順位。上向いてるのか、低迷してるのか、誰もがドゥカティへの乗り換えに苦労するのは歴史が証明しているし、それでも今のデスモセディチとロレンソなら上向くかも――そんな期待は開幕戦ではかなくも散りました。
開幕戦カタールでは、予選12番手/決勝11位、第2戦アルゼンチンでは予選16番手/決勝リタイヤ、第3戦アメリカズでは予選6番手/決勝9位。決勝はあくまで順位でしかありませんが、予選での速さもレースでのペースも、すっかり精彩を欠いてしまっていた、というのが今シーズン序盤3レースのロレンソでした。開幕戦では1コーナーでオーバーランして大きく順位を落とし、第2戦では1周目に接触転倒でレース終了。第3戦アメリカズは、16年に自分自身で2位に入っているし、その時の自分を追っていたのは、他ならぬドゥカティのイアンノーネだったというのに、ダニロ・ペトルッチ(プラマック・ドゥカティ)にまで抜かれての9位フィニッシュ。トップまでの差は17秒もありました。
特にアルゼンチンでは、転んでオフィシャルのスタッフが駆け付け、起こしたまま保持していたマシンを「あーーーもうっ!」って放り投げましたからね。チームからはおとがめなしだったみたいだけど、ストレスが頂点に達した瞬間だったのだと思います。

画像: 終盤、ザルコを引き離して3番手を走るロレンソ このまま3位表彰台へ!

終盤、ザルコを引き離して3番手を走るロレンソ このまま3位表彰台へ!

そして第4戦ヘレスです。このコース自体、ロレンソは得意なコースだと公言していて、最終コーナーには自らの名が冠されてもいます。ちなみのヘレスの順位は、09年のみラスト4周ってところで単独転倒しちゃいましたけど、以下の通りです。

16年:2位  15年:優勝  14年:4位
13年:3位  12年:2位   11年:優勝
10年:優勝  09年:DNF   08年:3位

そして17年のレースでは、まずFP1に雨で苦労しながら9番手、FP2ではドライで4番手、FP3で2番手、FP4でも2番手まで上がって、公式予選は3列目8番手に落ち着きました。しかし、ここヘレスは1周タイムは出るけど、決勝は27周、特にタイヤへの攻撃性が激しいドゥカティは最後まで持つまい、が大方の見方だったと思います。ちなみに16年は、2列目4番グリッドにいたドビツィオーゾがマシントラブルでリタイヤ、4列目11番手のイアンノーネが7位フィニッシュ――。そんなレース。「ヘレスはヤマハ向き、ホンダやドゥカティ向きのようなパワーサーキットじゃない」というのが定説と言えば定説でしたね。

画像: 序盤、競り合いの中にいるロレンソ デスモセディチ的な走行ラインがライバルと同じになってきました

序盤、競り合いの中にいるロレンソ デスモセディチ的な走行ラインがライバルと同じになってきました

決勝レースでは、3周目にロッシをかわして7番手へ、4周目にビニャーレスをかわして6番手へ、5周目にはイアンノーネ脱落で5番手へ、6周目にはクラッチロウ脱落で4番手へポジションアップ。この後もトップから4人、つまりペドロサ、マルケス、ザルコ、そしてロレンソまで1分40秒台で周回。5番手以下が徐々に離れていきます。
そして12周目にはザルコまでかわして3番手に上がると、そのポジションをキープしたままフィニッシュしてみせました。この頃にはトップ2のペドロサとマルケスだけが40秒台、ロレンソは41秒台前半をなんとかキープしての終盤。ドゥカティにしては、って言うと怒られますが、大崩れしないままフィニッシュできましたね。

画像: 地元ファンにアピール 優勝してロレンソランドの旗を突き刺すのはいつの日でしょう

地元ファンにアピール 優勝してロレンソランドの旗を突き刺すのはいつの日でしょう

これでロレンソは、4戦目にしてデスモセディチを表彰台に押し上げました。ちなみにロッシのドゥカティ移籍初年度は、開幕戦から7位/5位/5位/3位/5位/6位と、初表彰台は奇しくもロレンソと同じ第4戦でした。2011年の第4戦(この年はフランスGP:ル・マンでした)は、ラスト数周でロレンソがロッシのデスモセディチにパスされています。今回は、キッチリその仕返しをしてやりましたね。
「ここまでの3戦は難しいレースだったけど、今日は地元のファンの前で表彰台に立つことができた。自分の30歳の誕生日に、最高のプレゼントになったね。今日の表彰台は本当に大変な思いをして掴んだものだから、これまで何度もつかんできた優勝以上に嬉しい。ヘレスはデスモセディチと相性がいいコースとは言えないけど、そんなコースで表彰台っていうのが嬉しい。この数か月はかなり厳しかったけど、自分を信じる気持ちをずっと持ち続けてきた。チームも一貫して僕を信用してくれているしね」とはロレンソ。

画像: 歓喜の雄たけび、っていうタイトルがぴったりな写真です

歓喜の雄たけび、っていうタイトルがぴったりな写真です

次の目標は、もうひとつ表彰台に上がること、そして2位、そして優勝、その先にシリーズチャンピオン、という青写真を描いているはず。

それができて初めて、ロッシを超えた、って自分を納得させることができるんだからね。

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