SRの大ヒットは、実はヤマハにとっては予想外だった。そのSR人気が盛り上がりつつあった1980年代終盤、ヤマハは「SRの後継モデル」として新しいシングルスポーツモデルづくりをスタートさせる。しかし、SRに取って代わるはずのSRXがデビューしてもSR熱が冷めなかったことがわかるのは、それからずいぶん後のことだった。
文:中村浩史/写真:松川 忍

ヤマハ「SRX600」インプレ・歴史解説(中村浩史)

画像: YAMAHA SRX600 1990年モデル 総排気量:608cc エンジン形式:空冷4ストローク単気筒SOHC4バルブ シート高:760mm 乾燥重量:149kg 発売当時価格:55万9000円

YAMAHA SRX600
1990年モデル

総排気量:608cc
エンジン形式:空冷4ストローク単気筒SOHC4バルブ
シート高:760mm
乾燥重量:149kg

発売当時価格:55万9000円

現在では決して味わえない単気筒らしいフィーリング

SRにもSRXの初期モデルにも装備されていないセルボタンを押してエンジン始動。600ccの単気筒は、充分に消音されたサウンドを響かせて、不安定なアイドリングを始める。冬の朝、スロットルを微開しながら、チョークレバーを操作して暖機――これは、現代のオートバイには必要ない、キャブレター車ならではの儀式だ。

600cc級の単気筒といえば、現代でも決して珍しくはないが、その多くは海外モデル。ビッグシングルと呼ぶのもはばかられるほど、軽々と、そしてビュンビュン回る。ボア×ストローク設定のためか、クランクマスの設定か、ビッグシングルといえばズドドドド、なんて面影すらない。

その点では、SRXは「昔の」単気筒だ。アイドリングが安定すると、ズドドドド、とは言わないが、結構な鼓動を感じさせるストトトト、なイメージで発進を待っている。その雰囲気は、SR500とも明確に違う。

低回転トルクもブ厚く、スムーズに走り出すSRX。街中の常用スピードでは、回転数は3000~3500回転。トルクの出方がスムーズで、振動も感じないし、スロットルのオンオフでギクシャクを感じることもない。

高速道路を走っても、トップ5速で100km/hは4000回転ほど。もう少しスピードを上げて120km/hほどで巡行しようとすると5000回転くらいになって、ここでSRXはやや苦し気に回り始めるのだ。

画像1: ヤマハ「SRX600」インプレ・歴史解説(中村浩史)

なんてスムーズなオートバイだ、と思う。このSRXは1990年製、ということはもう30年以上も昔のモデルなのに、現在のペース、交通事情で走るのに、まったく過不足がない。むしろ、今は味わえなくなってしまった「ビュンビュン回」らないシングルエンジンのフィーリングがすごくイイ。

エンジンの爆発1発1発をきちんと感じられて、リアタイヤが路面を蹴っ飛ばす、決して乱暴ではない、力感のあるパワーフィーリング。のんびり走る時に不快な振動を感じることがなく、加速する時にズダダダダッと前に進もうとするーーSRXには初期モデルもこの後期モデルも発売当時にも乗ったし、センパイや友人に実際のオーナーもいて、何度も乗せてもらったりもしていたのだ。もちろん、チューニングブームな時期でもあったから、FCRを組んでボアアップ、車体を強化したカスタムSRXにだって乗った。

SRXって、こんな楽しかったっけと、しばらく考え込んでしまった。

SRよりももっとスポーツ性の高い単気筒モデルを目指して登場したSRX400/600のデビューは1985年。キックスタートはSRを踏襲したものの、同じSOHC単気筒ながら4バルブヘッドを採用し、鋼管ダブルクレードルフレームやディスクブレーキを標準装備し、走りを意識したパッケージだった。90年にはフルモデルチェンジし、写真のモデルに。いわゆる「後期型」は、2本サスがモノサスに、始動方式はセルスターターとなった。

画像2: ヤマハ「SRX600」インプレ・歴史解説(中村浩史)

SRとは別系統で新しいスポーツを創り出す

SRXのスタートは1980年代前半のこと。この頃の日本オートバイ市場のトレンドといえば、レーサーレプリカモデルに代表されるスポーツ路線。誰も彼も高性能、新素材、レーシングマシンのテクノロジーをフィードバックーー的文言にまっしぐらの時代だ。

数々の新しいコンセプトのモデルが生まれ、そのニューモデルを打倒すべく、ライバルも続々と生まれた。

1980年にヤマハがRZ250を発売すると、ホンダはVT250Fを発売、加熱する250ccスポーツ市場に、スズキがRG250Γを投入し、レーサーレプリカウォーズが巻き起こる。

その戦火は400cc、やがて750ccに飛び火し、1985年からの5年間あたりは、毎月のようにニューモデルが発売され、新しいメカニズムも投入され、乾燥重量や最高出力が、次々と「クラス最高」を更新していく。

けれど、その一方でカウンターカルチャーも生まれていた。それが、ヤマハSR。この、決して高性能ではない空冷単気筒エンジンを持つロードスポーツが、じりじりと販売台数を伸ばしていたことは、世の中の全員がスーパースポーツを欲しているわけではないことを証明していたのだ。

画像3: ヤマハ「SRX600」インプレ・歴史解説(中村浩史)

SR的な「超高性能ではないオートバイらしさ、速く走るだけではない楽しみ」に可能性があると踏んだヤマハは、当然のようにSRのテコ入れ、後継モデルを開発し始める。

ヤマハにしてみれば、ワイヤースポークホイールにセルなし空冷単気筒エンジンのSRは、その頃すでに、もっと手を入れなければならない、その当時の「現代風」に仕立て直さなければならない車両に映っていたのだろう。それはきっと技術的に、エンジニアとして正しい感想なのだろうと思う。

フルモデルチェンジか、空冷単気筒エンジンの魅力を継承する新しいモデルにスイッチし、あらためて4ストロークシングルスポーツ路線を開拓するかーー。しかしヤマハは市場調査の結果、SRを支持するユーザーやコンストラクターの熱意と愛情が想像以上に強く激しいことを実感。少し後に「SRをなくしてはならない」という決断に踏み切るのである。

では、SRとは別系統で新しいシングルスポーツモデルを作ろう、となったのは自然な流れだった。骨のあるシングルスポーツ、必要なものにコストを惜しまず、不必要なものは絶対に加えないことが徹底され、SRXの開発がスタートしたのだ。

画像4: ヤマハ「SRX600」インプレ・歴史解説(中村浩史)

当時、新設計エンジンとなるとDOHC4バルブヘッド、という選択もあったけれど、SRXにはシングルらしくトルクフルな出力特性にしたい、との理由からSOHCが選ばれ、少しの労力もいとわないキック始動がいいのではないか、とセルスターターの装着を拒んだという。その代わりにSRに装着されているデコンプレバーを廃し、オートデコンプを装備した。

独創的なスタイリングには、当時、加工が難しいとされてきた角パイプにこだわって、カチッとした凝縮感を強調。アルミやステンレスという素材の持つ表情をきちんと残し、当時まだ珍しかったショートマフラーは、スタイリングに合わせたデザイン優先の結果だ。今ならば、低重心とマスの集中の結果で採用したと言われるのだろう。

こうして完成した「新しいシングルスポーツ」SRXは、ヤマハが想定した以上の人気を獲得して、SRX600は年間2000台、400は年間5000台という販売計画を大きく上回り、国内外合わせたシリーズ累計販売台数は、SRX600が1万9000台、400は国内だけで3万台を売り上げた。ずっと人気モデルだったSRに反旗を翻したSRXの開発チームにとっても驚きの結果だったという。

街中に「おしゃれな単気筒」SRXがあふれ、シングルレースでもSRとはケタ違いの性能を見せたSRX。決してレース出場を想定してはいなかったが、SRX600の排気量を598ccではなくあえて608ccとしたのは、鈴鹿8時間耐久レースに代表される「TT-F1」クラスに出場できる「4ストローク600cc~750cc」のレギュレーションを満たす、技術陣のちょっとしたプライドだった。

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