かつては兄貴分たちのお下がりでしかなかった。
125ccといえばやっぱり「便利な」原付ニ種スクーターが大人気。
けれど、今はマニュアルミッションのスポーツ125㏄が元気だ。
スピードだってそこまで出ないし、高速道路だって乗れないけれど
なーんだかやめらんないのだ。
文:中村浩史/写真:島村栄二

1980年代~現在の125ccバイクの体感的印象

憧れのセンパイが乗っていたいちばん身近なスピードスター

1967年生まれ、高校生の頃にバイクブームを体験した僕が、初めて125ccのことを意識したのは、原付免許を取りたての18歳のころ。

原付免許って、ホントは16歳から取れるんだけれど、僕の高校はそりゃぁうるさくて「試験場と警察とつながっていて、免許取得者名簿がダイレクトに学校に送られる」なんてウワサがあるような学校だった。

いま冷静に考えたらそんなことあるワケないんだけれど、そういう時代だったのだ、80年代って。

やっとバイク乗りになれた18歳の春。僕はCB50を手に入れた。もう原付モデルに7.2馬力規制が敷かれて、当時の人気原付はMBX50とかRZ50、それにRG50ΓやAR50な頃。CBはちょっと古い人気車、しかも機械式ディスクブレーキのJX1だった。

僕はいつもバイト先の友だち、50ΓのシンちゃんとMBXのオダ君とつるんでいた。
その頃、ふたつ上の先輩が乗っていたのがRZ125。セパハンにもしてない、チャンバーだってついてない白赤ノーマルカラー。

けれど、タイヤにはいつもお金使うんだ、って言っていたなぁ。それがどんな意味を持つのか、僕らにはわからなかったけど──。

画像: ▲ヤマハ「RZ125」(1982年)

▲ヤマハ「RZ125」(1982年)

アールゼット? でも125でしょ? 250とか350だってもう古いし、もうΓとかNSの時代じゃん。125より400欲しいよな、250要らないし、大型まだ無理だし──僕らはそんな少年だった。

125って、どうもオジサンのバイク、ってイメージが強かったのだ。ナンバープレートはピンクだし、よく見かける125と言えば、2気筒エンジンのCD125T。レッグシールドがついたホンダのビジネスバイク。スーパーカブの親玉みたいな。

「ばか、ワンツーだって速いんだぞ」

センパイは125のことをワンツーと呼んでいた。いつだってバイトが終わるとサッと帰って、僕らとつるんでくれはしない。シンちゃんもオダ君も言葉には出さないけれど、ちょっとだけ憧れていたのだ。もちろん、僕も。

一度、バイト帰りにセンパイを尾行しようぜ、ってシンちゃんたちと話したことがあった。

「お、お前らももう帰んの?」

──はい、ってニヤニヤしながらほぼ同時にエンジンをかけたんだけど……。やっぱり僕らはブッチギられた。

少年たちを置き去りにするワンツー。いちばん近い憧れ、そしていちばん身近なスポーツバイクが125だった。

KTM DUKEが口火を切った新世代125ccスポーツ

画像: KTM DUKEが口火を切った新世代125ccスポーツ

125はしばらく、陽の当たらない存在だった。80年代からのレプリカブームでは、中型モデルは250ccや400ccが人気で、そのレプリカブームが750ccにも飛び火した80年代終盤。90年代はより先鋭化したレーサーレプリカとネイキッドが両輪となって、90年代後半から00年代にはビッグスーパースポーツやトラッカー、ビッグスクーターが人気の軸になった。

そこに、125ccの出番はなかった。いつまでたってもビジネスバイクの延長で、50ccのちょっと豪華版、おじさんのたちの近所のアシ的バイク。

90年代にはTZR125やRG125Γ、XLR125RやKDX125SRの登場があったものの、好きもの向けの単発ヒットに終わってしまう。わずかに、2ストロークスクーター、アドレスV100が都市部で異常人気となったことがあったけれど、マニュアルミッションのスポーツバイクが人気になるのは、まだ後のことだ。

潮目が変わったのは02年に登場したエイプ100からかもしれない。古くCB/XR50系の縦型4ストローク空冷単気筒エンジンを搭載し、01年に登場したエイプ50の100cc版として登場。マニュアルミッションのミニサイズとはいえ、モンキー/ゴリラ系よりも大きく現実的なサイズとして人気モデルになったのだ。

画像: ▲ホンダ「エイプ100」(2002年)

▲ホンダ「エイプ100」(2002年)

エイプ100は、時を同じくしてスタートした、ツインリンクもてぎで行なわれる「DE耐」のほぼワンメイク車両としても人気となり、05年には派生モデルとしてXR100モタードも誕生、カワサキもKSR110を発売することになる。この頃、明らかにミッションつき125ccが少しずつ街でも走り始めた境目だった。

決定的だったのは11年。ホンダでもヤマハでもなく、外国車メーカーが一撃を食らわせた。オーストリア、KTMの125DUKEである。

画像: ▲KTM「125DUKE」 写真は2021年モデル

▲KTM「125DUKE」

写真は2021年モデル

DUKEは125ccという枠を取り払うかのように、6速ミッションの水冷DOHC4バルブエンジン、WP製倒立フォークやデジタルメーター、マイナーチェンジ時にはABSも標準装備するという、これまでの125ccモデルでは考えられない豪華なパッケージで大ヒット。KTMはDUKEで世界シェアを伸ばし、日本市場でも外国車メーカーゆえ台数よりも存在感が大きく、DUKEが125ccスポーツ人気を確立したように思えたのだ。

追随するかのように国産メーカーも、ホンダが13年にGROMやクロスカブ110を、16年にはスズキがGSX‐R/S125を、18年にはホンダがCB125Rとモンキー125を、そして20年にCT125ハンターカブを発売する頃には、もう「新世代」125ccスポーツは大人気カテゴリーだった。

今ではもう、誰も125ccモデルを「ビジネスバイクの延長で、50ccのちょっと豪華版、おじさんのたちの近所のアシ的バイク」とは言わない。

あのRZ125と同じく、いちばん身近なスポーツバイクとなったのだ。

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