横内さんの残念な訃報をお伝えしたばかりですが、同じ時代のサーキットで活躍したライダー、ウェス・クーリーさん(本名 ウェスター・スティーブン・クーリー)が亡くなりました。1956年ロサンゼルス生まれですから、65歳でした。早いです。

画像: 2017年の鈴鹿8耐前夜祭で 左から吉村不二雄さん、クーリーさんに、加藤陽平、グレーム・クロスビー、ケビン・シュワンツ、そして加賀山就臣

2017年の鈴鹿8耐前夜祭で 左から吉村不二雄さん、クーリーさんに、加藤陽平、グレーム・クロスビー、ケビン・シュワンツ、そして加賀山就臣

画像: デモランを終えての不二雄さんとクーリーさん。不二雄さん、この時わざわざ、当時よくかぶっていた星条旗柄の帽子を持ってきてくれたんです

デモランを終えての不二雄さんとクーリーさん。不二雄さん、この時わざわざ、当時よくかぶっていた星条旗柄の帽子を持ってきてくれたんです

クーリーさんは77年に、当時アメリカを本拠としていたヨシムラに、そしてポップこと故・吉村秀雄さんに見いだされてAMAスーパーバイクにデビュー。78年には、第1回の鈴鹿8時間耐久でヨシムラスズキGS1000をライディングして、マイク・ボールドウィンとのペアで優勝。80年にはグレーム・クロスビーとのペアで2回目の鈴鹿8耐優勝を果たしています。

本業のAMAスーパーバイクでは、78年にマシンをスズキにスイッチし、ヨシムラスズキGS1000を駆って表彰台の常連になると、79年~80年とAMAスーパーバイクチャンピオンとなりました。78年に鈴鹿8耐優勝、79年にAMAスーパーバイクチャンピオンとなり、80年にはAMAスーパーバイクと鈴鹿8耐をダブルで制したことになりますね。

画像: その17年、パドックに展示された鈴鹿8耐優勝当時のGS1000レプリカ これはヨシムラの熱心なファン、吉川友和さんがご自身の車両をレプリカ風にカスタムし、ヨシムラに提供したもののはずです

その17年、パドックに展示された鈴鹿8耐優勝当時のGS1000レプリカ これはヨシムラの熱心なファン、吉川友和さんがご自身の車両をレプリカ風にカスタムし、ヨシムラに提供したもののはずです

画像: これはデモランした実車 上の車両とは細部が違いますね たしか浅川スピードで製作した車両のはず

これはデモランした実車 上の車両とは細部が違いますね たしか浅川スピードで製作した車両のはず

そのクーリーさん、85年シーズンのレース中にクラッシュし、重症を負って回復まで数年を要する大けがを負い、レースに復帰はしたものの、往年の速さは戻らなかったといいます。
その後はライディングスクールのインストラクターなどを務め、2004年にはAMAスーパーバイクの殿堂入り。2017年には鈴鹿8耐にも来日してくれ、前夜祭と、決勝日朝に、78年の鈴鹿8耐ウィニングマシンGS1000のレプリカでデモランをしてくれました。
この時も足が悪かったようで「あんまりスケジュールを詰めてくれるな」って一旦キツ目に言った後、周囲がシーンとすると「僕は、ゆっくりとしか歩けないんだからさー」って笑っていました。いたずら好きなとこもあったみたい。
この時、弊社で「ふたり鷹ファンブック」を発売したタイミングで、劇中にも登場するクーリーさんに登場シーンを見せたら「僕のこと、これだけしか載ってないの?」ってニコニコしてくれました。引退後はドクターもやっていて、優しい、穏やかな、聡明な感じのする方でした。あの時まだ、60歳だったんですねぇ……。糖尿病を患っていらっしゃる、とお聞きしました。

画像: 左がクーリーさん、右はクロスビーさん 右のマシンで、このふたりが80年の鈴鹿8耐を制したのです

左がクーリーさん、右はクロスビーさん 右のマシンで、このふたりが80年の鈴鹿8耐を制したのです

クーリーさんは10月16日、アイダホのご自宅で、糖尿病の合併症で亡くなった、と伝えられました。
今ごろ向こうで、横内さん、ポップと再会している頃でしょうか。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

画像: この日のデモランのために、クシタニがツナギを製作、アライヘルメットが当時のカラーリングでヘルメットを製作 「これ、持ち帰っていいのかな」と、ツナギとヘルメットをものすごく喜んでいました

この日のデモランのために、クシタニがツナギを製作、アライヘルメットが当時のカラーリングでヘルメットを製作 「これ、持ち帰っていいのかな」と、ツナギとヘルメットをものすごく喜んでいました

写真/南 孝幸・中村浩史 文責/中村浩史

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