via text - ここをクリックして引用元(テキスト)を入力(省略可) / site.to.link.com - ここをクリックして引用元を入力(省略可)
パワー競争がエスカレートする一方だった1960年代中盤の世界GP250ccクラスにおいて、ホンダが投入した4サイクル並列6気筒のRC165に対抗すべく開発されたRD05をベースに、さらなる最高出力の引き上げと操安性の改良を図った2サイクル水冷V型4気筒マシーンがRD05Aだった。

2スト250レーサー史上最強のマシーン

1967 Yamaha RD05A

画像: 1960年代のヤマハの250㏄工場レーサーには、1961年5月の世界選手権第3戦フランスが初GPとなったRD48、1962年11月第1回全日本選手権ロードレース(鈴鹿)に初登場のRD56、1965年9月にイタリアのモンツァで行われたネイションズGPで衝撃デビューを果たしたRD05、そしてRD05の後継車として1966年に実戦投入されたRD05Aの4機種が存在した。写真は、1967年に製造され、68年の世界GPタイトルを獲得したフィル・リードのマシーン。

1960年代のヤマハの250㏄工場レーサーには、1961年5月の世界選手権第3戦フランスが初GPとなったRD48、1962年11月第1回全日本選手権ロードレース(鈴鹿)に初登場のRD56、1965年9月にイタリアのモンツァで行われたネイションズGPで衝撃デビューを果たしたRD05、そしてRD05の後継車として1966年に実戦投入されたRD05Aの4機種が存在した。写真は、1967年に製造され、68年の世界GPタイトルを獲得したフィル・リードのマシーン。

創業者によるマン島TT出場宣言に始まるホンダの世界GP参戦を追うように、ヤマハ/スズキ/カワサキの3メーカーが2サイクル車での挑戦を開始する。ホンダ対ヤマハの一騎討ちの様相を呈した250クラスでは、1963年にRD56を投入したヤマハの猛追を振り切るべく、ホンダは1964年9月のネイションズGPに並列6気筒のRC165を投入。2戦目の日本GPでは優勝を飾り、迎撃態勢を整えた。

画像: 当時のヤマハ純正カラーのカウリングを装着した外観イメージは、RD56に始まり、本機を経て市販レーサーTD-2〜TZ250(1H3)に至る流れの中にあることがわかる。このマシーンと、このマシーンの技術的基礎を築いたRA97(125㏄/1966年)、さらにYDS-1アサマスペック/TD-1/RD56/TD-1B/RA31A/RF302/TR-2など、1960年代のファクトリーおよび市販ロードレーサーの多くが、1970年代以降のマシーンとともにヤマハ・コミュニケーションプラザに展示されており、250㏄のロードレーサーだけでも、その数は13機種にのぼる。

当時のヤマハ純正カラーのカウリングを装着した外観イメージは、RD56に始まり、本機を経て市販レーサーTD-2〜TZ250(1H3)に至る流れの中にあることがわかる。このマシーンと、このマシーンの技術的基礎を築いたRA97(125㏄/1966年)、さらにYDS-1アサマスペック/TD-1/RD56/TD-1B/RA31A/RF302/TR-2など、1960年代のファクトリーおよび市販ロードレーサーの多くが、1970年代以降のマシーンとともにヤマハ・コミュニケーションプラザに展示されており、250㏄のロードレーサーだけでも、その数は13機種にのぼる。

画像1: 2スト250レーサー史上最強のマシーン

そのRC165を打破すべく開発され、ちょうど1年後の1965年9月に実戦投入されたのがV型4気筒のRD05。RC165の60psに対し、RD05は70psを目標にしていたが、出力や最高速はともかく、操安性や信頼性に問題を抱えており、1966年にRD05の後継車としてRD05Aの開発に着手。

画像2: 2スト250レーサー史上最強のマシーン

最終戦・日本GP(富士)の前に完成したマシーンは、1968年には世界GPで(1966年に全クラスのメーカータイトルを獲得したホンダが1967年限りで撤退したのも手伝って)10戦10勝という好成績を収め、ライダー/メーカー両タイトルを獲得した。

Yamaha RD05A(1967) DETAIL

画像: RD05を基に、シリンダー挟み角を90度から70度に縮小するとともに水冷化したエンジンは、RA97(ヤマハ初の水冷エンジン。並列2気筒)のシリンダーから上を2基分、70度の挟み角を持たせて積み重ねたとも形容できる。同じ2軸クランクのV型4気筒ながら、後年のYZR500(V型4気筒初代は1982年型0W61)とはクランクからの出力取り出し方式が異なり、RD05/05Aは各クランク軸のセンターにギアを設け、そこからプライマリードライブギアに出力を伝達するプライマリーシャフトを持つ5軸構成(ミッションの2本を加算)である。RD48の35ps以上/RD56の50ps以上に対して、RD05Aの最高出力は73ps以上であり、短期間の急増ぶりに驚かされる。

RD05を基に、シリンダー挟み角を90度から70度に縮小するとともに水冷化したエンジンは、RA97(ヤマハ初の水冷エンジン。並列2気筒)のシリンダーから上を2基分、70度の挟み角を持たせて積み重ねたとも形容できる。同じ2軸クランクのV型4気筒ながら、後年のYZR500(V型4気筒初代は1982年型0W61)とはクランクからの出力取り出し方式が異なり、RD05/05Aは各クランク軸のセンターにギアを設け、そこからプライマリードライブギアに出力を伝達するプライマリーシャフトを持つ5軸構成(ミッションの2本を加算)である。RD48の35ps以上/RD56の50ps以上に対して、RD05Aの最高出力は73ps以上であり、短期間の急増ぶりに驚かされる。

画像: 機械式タコメーター(ワイアの取り出しは、上に書いたプライマリーシャフトの中央部から)のレッドゾーンは17000 ~18000rpm間から上で、単室125㏄のエンジンと比べてストロークが短く往復運動部分の慣性質量も小さい、単室62.5㏄ならではの許容回転の高さといえる。

機械式タコメーター(ワイアの取り出しは、上に書いたプライマリーシャフトの中央部から)のレッドゾーンは17000 ~18000rpm間から上で、単室125㏄のエンジンと比べてストロークが短く往復運動部分の慣性質量も小さい、単室62.5㏄ならではの許容回転の高さといえる。

画像: ストリートモデルのオートルーブと同様、ポンプを用いて潤滑油を圧送。とはいえ燃料は生ガスではなく混合ガソリンであり、併用する必要があったことがわかる。

ストリートモデルのオートルーブと同様、ポンプを用いて潤滑油を圧送。とはいえ燃料は生ガスではなく混合ガソリンであり、併用する必要があったことがわかる。

画像: Yamaha RD05A(1967) DETAIL
画像: クラッチは乾式多板。クラッチスプリングが8本もあるのは、摩擦力を稼ぎつつ、外径の増大を抑えるためか。ミッションは、RD56よりも1段増しの8速となった。

クラッチは乾式多板。クラッチスプリングが8本もあるのは、摩擦力を稼ぎつつ、外径の増大を抑えるためか。ミッションは、RD56よりも1段増しの8速となった。

画像: フロントフォークは異様に細く、ステアリングヘッドまわりは華奢に見える。ヘッドパイプ~フレーム間のプレートの交換で、キャスター角を変更できる機構を持つ。

フロントフォークは異様に細く、ステアリングヘッドまわりは華奢に見える。ヘッドパイプ~フレーム間のプレートの交換で、キャスター角を変更できる機構を持つ。

連載【心に残る日本のバイク遺産】をまとめて見る

MOOKのバックナンバーはこちら「日本のバイク遺産 2サイクル250史」

日本のバイク遺産 2サイクル250cc史 (Motor Magazine Mook)

モーターマガジン社 (2017-08-31)
売り上げランキング: 257,172

Powered By Bikers Station

This article is a sponsored article by
''.