バックナンバーから二輪ジムカーナ記事を発掘…

画像: バックナンバーから二輪ジムカーナ記事を発掘…

このあいだ調べなきゃならないことがあって、大昔の月刊オートバイのバックナンバーを見返していたら、たまたま昔の二輪ジムカーナ大会の記事を見つけました。

二輪ジムカーナのルーツは、戦後しばらくして在日米軍の関係者によって米軍基地内で始まったとされ、徐々に日本人も参加するようになり、モータリゼーションの発展とともに1960年代に各地に広く普及していったと思われます。「思われます」というのは、1970年代半ば〜80年代あたりの話なら、まだ現役の二輪ジムカーナ関係者でその時代を知ってる人から話を聞けるんですが、それ以前の二輪ジムカーナに直接関わったという人は見当たらないからです。ロードレースやモトクロスのMFJやMCFAJのように継続的に運営を続けている団体が存在しない上に、基本は草レースなのでメディアに取り上げられることも少ない。だから、まとまった形の資料も残らない…。というわけで、初期の二輪ジムカーナについては断片的な情報しかなく、まさに雲をつかむような「黎明期」なわけです。

画像: 月刊オートバイ1967年11月号の表紙。開催が迫っていた東京モーターショーと日本グランプリの展望特集がメイン。

月刊オートバイ1967年11月号の表紙。開催が迫っていた東京モーターショーと日本グランプリの展望特集がメイン。

ただそこは、長い歴史を誇る月刊オートバイ。編集部に所蔵されている1950年代からの膨大なバックナンバーを見ていると、たま〜にジムカーナに関する記事が出てくることがあるんですね。
今回見つけたのは月刊オートバイ1967年11月号の「カメラルポ・T.T.C.ジムカーナ大会」という記事。当時まだ活版印刷のページがメインだった中で、モノクロとはいえ写真が鮮明に再現でき、ページ数も少なかったグラビアで3ページも紹介されるという、ある意味破格の扱い。これとは別にモータースポーツの情報ページにも簡単なリザルトが紹介されてました。
主催の東京トライアルクラブは、村山モータースが主催してたツーリングクラブですね。大会は1967年9月10日に行われ、会場は埼玉・所沢の狭山スキー場駐車場。記事によると「2輪車専門のジムカーナー大会は日本では珍しいことで」ともあるんですが、それでも約70台がエントリー。

画像: マシンの後ろ姿の右手前、4つのランプを縦に並べているのがスタート地点のシグナルツリー。

マシンの後ろ姿の右手前、4つのランプを縦に並べているのがスタート地点のシグナルツリー。

午前・午後の2ヒートを走るのは現在と同じ。クラス分けは現在とは異なり、最初の大会なので当然シード・ノービスの違いはなく、マシンの排気量別にA(90-125cc)、B(126-350cc)、C(351cc以上)の3クラスを設定。足着きやパイロンを倒すと2秒加算とか、レギュレーションも現在のものとはいろいろ異なっていた模様。スタート地点にはちゃんとシグナルツリーも用意されてたりしてて競技性は高めです。このシグナルツリーは、当時すでにかなり盛んに行われてた4輪のジムカーナから持ってきたんじゃないかな? 運営やタイム計測のノウハウとかも含めて。

画像: この大会のコース図。現在のような細かなスラローム、270度ターン、ライン踏みといったテクニカルなセクションはなく非常にシンプル。

この大会のコース図。現在のような細かなスラローム、270度ターン、ライン踏みといったテクニカルなセクションはなく非常にシンプル。

走行するコースは「全長800mの複雑なコース」と記事には書かれてますが、コース図上で見る限りは使ってるパイロンが9本しかないという、現在の二輪ジムカーナでは考えられないほどシンプルでおおらかなコース設定。これも4輪ジムカーナっぽい感じがします。それでも当日第1ヒートではコースミスが続出したようですが。

画像: クラブ旗を付けて走っているのはCB72か77。ジムカーナのゴールでチェッカーフラッグが振られるというのはちょっと新鮮。

クラブ旗を付けて走っているのはCB72か77。ジムカーナのゴールでチェッカーフラッグが振られるというのはちょっと新鮮。

画像: 遅乗り競争の模様。この組にはCB450、トライアンフなどの大排気量マシンが参加している。

遅乗り競争の模様。この組にはCB450、トライアンフなどの大排気量マシンが参加している。

画像: 各地のローカルレース、モトクロスなどのリザルトを紹介する「スポーツだより」コーナーにもリザルトが掲載されていた。

各地のローカルレース、モトクロスなどのリザルトを紹介する「スポーツだより」コーナーにもリザルトが掲載されていた。

総合トップとなったのは1分1秒8を記録したCクラスの井上政道選手。他のリザルトは各クラスの上位のライダー名だけで、マシンやタイムは不明…。写真を見る限りではCB450とかCB72が目立って、ハーレーやトライアンフなんかも走ってたようです。タイムアタックだけでなく、遅乗り競争、障害物競争もしてたというあたりは、競技性を追求してなかった頃のジムカーナの「運動会的」な雰囲気がまだ残ってるのかも。

なんとMFJ公認! これが今の二輪ジムカーナの原点?

画像: 1つ前の号である月刊オートバイ1967年10月号に掲載されていたMFJの広告ページ。日本グランプリ関連のイベント紹介と共に、「M.F.J.ジムカーナ大会」として参加募集をしている。

1つ前の号である月刊オートバイ1967年10月号に掲載されていたMFJの広告ページ。日本グランプリ関連のイベント紹介と共に、「M.F.J.ジムカーナ大会」として参加募集をしている。

しかし驚くべきはこの大会、なんとMFJ公認イベントってこと! 1967年10月号のMFJの広告ページでも「M.F.Jジムカーナ大会」として参加者を募集してる(ライセンスは不要、出場料700円)し、スタッフの背中には大きなMFJロゴが。他の写真もよく見るとライダーのゼッケンにMFJの文字が見える。うーん、なんてこった、去年から始まったMFJジムカーナグレートシリーズの約半世紀前に、すでにMFJ公認の二輪ジムカーナ大会があったのか。グラビアを3ページも使って紹介しているのもMFJが絡んでいたから、ということ?

画像: スタート地点の計測スタッフの背中にも大きくMFJのロゴが入っている。スタートを待つマシンはCB450のようだ。

スタート地点の計測スタッフの背中にも大きくMFJのロゴが入っている。スタートを待つマシンはCB450のようだ。

この記事の話をオートバイ杯第3戦の会場で、現役の二輪ジムカーナ関係者の中では長老格である、JAGEの安達代表やA級・木村選手にしてみたら、
「大先輩たちから昔話として、今のような二輪ジムカーナが始まったのは1967年だということと、東京トライアルクラブが関わってた、というのは聞いたことあるんだけどね。だけど1967年に関してそれ以上の具体的な話は残ってなくて、記録とか写真とか、何も見たことがなかった。この記事は、僕らが聞いてきた話にピッタリ合ってるし、どうやらこれが二輪ジムカーナの“始まり”なんじゃないの!? それにしてもMFJ公認だったなんてね…」
という驚くべき話になったのです。どうやらこの記事、二輪ジムカーナの歴史に残る記念すべきイベントの記録ということになるらしい。

MFJには何かこのイベントの資料、残ってないのかなぁ。約半世紀も前の話だから、難しいだろうなぁ。とにかく興味深いんで、引き続き調査は続けようと思ってます。
「実は私、あの大会に参加してました」とか、「ウチに同じようなイベントの古い写真がある」とか、何か古〜い二輪ジムカーナに関する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡お待ちしてます!

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