MotoGPクラスに3人の日本人ライダーが参戦した日本グランプリ。しかし、この3人は、いわば「異例」で、MotoGPクラスへのワイルドカード参戦は、正式な参加資格はありません。JSB1000クラスでなにがしかの成績を収めたらMotoGPクラスに参戦できる、という規定がないんですね。かつて、全日本選手権でも世界グランプリでもGP500クラスが開催されていた時期は規定がありましたが、今は事実上、ほぼメーカーの推薦と申請でワイルドカードライダーが決まっています。
MotoGPと違って、参加資格がきちんと存在するmoto2クラスのワイルドカード参戦に賭けていたライダーがいます。それが、ハルクプロホンダの水野涼とモトバムホンダの榎戸育寛。ともに19歳、日本のロードレースうぃ代表する若手ライダーです。

画像: 左:榎戸と右:水野 ふたりはポケバイ時代からのライバルでもあります

左:榎戸と右:水野 ふたりはポケバイ時代からのライバルでもあります

水野は2015年のJ-GP3チャンピオン。2016年にJ-GP2クラスにステップアップしますが、惜しくもチャンピオンを獲り逃がしました。2017年、J-GP2クラスに再挑戦し、開幕から3連勝、3位をひとつはさんでその後も2連勝し、6戦5勝でシリーズチャンピオンを決めました。速さと安定感で取りこぼしなく決めたチャンピオンは、まさに圧倒的強を見せてくれました。水野の場合は、J-GP3時代から速く見えないのに速いんですね。それだけ、マシンをスムーズに動かしている。これが、水野の強みだと思います。
「GPにワイルドカード参戦する前に全日本チャンピオンを決められたのは良かったです」と水野。GPに、世界に「日本代表」として参戦する、その意識を持ってシーズンを戦ってきたわけです。
それでも、水野の課題は「いつもと違う」マシン。普段は、ハルクプロ製のJ-GP2オリジナルマシンでブリヂストンタイヤを履いているけれど、この日本GPはカレックスシャーシを選び、タイヤはワンメイクタイヤのダンロップを履くことになります。
カレックスとは、現在moto2クラスで大多数のユーザーが使用しているシャーシで、約30人のライダーの2/3が、しかも中上貴晶と長島哲太も、さらに言えばフランコ・モルビデリもトーマス・ルティもアレックス・マルケスもカレックスシャーシを使用しています。
「8耐期間中はJ-GP2のレースが空いたので、8耐マシンのテストや、moto2マシンのテストもできました。ダンロップは、そんなに違和感なかったですね。テストだから、本番はどうなるかわかりませんけど、日本代表として恥ずかしくないレースがしたい」

画像: 最終戦を残して岡山大会でJ-GP2チャンピオンを決めた水野 (撮影/赤松孝)

最終戦を残して岡山大会でJ-GP2チャンピオンを決めた水野 (撮影/赤松孝)

榎戸は、2016年のST600チャンピオンで、2017年にはJ-GP2クラスへスイッチ。水野とは正反対で、マシンをガツガツに攻め込んでいって、進入で滑らせ、立ち上がりで滑らせるタイプ。あのスライドはタイムロスだぞ、なんて先輩ライダーによく言われています。
J-GP2スイッチ時に参戦マシンとして選んだのが、日本ではまだユーザーがほとんどいないカレックス+CBR600RRエンジン。moto2マシンと同じ環境、なるべく近い道具で走りたい、と選んだマシンと環境でJ-GP2クラスに参戦したわけです。
「成績を狙うなら、もっと他の組み合わせがあったかもしれませんけど、僕はこの2年、ずっとこの日を夢見て走ってきました。ワイルドカードで世界GPに参戦して、そのまま日本を飛び出したい」と榎戸。
シリーズ序盤から初参戦となるJ-GP2クラスに手を焼き、アクセルを開けてタイヤをつぶして曲がっていきたいカレックスなのに、レースもテストも、走行機会は雨続き。さらにシリーズ途中からは、同じダンロップでも、moto2ワンメイクタイヤに近い仕様のものをレースで履いていました。もちろん、日本のサーキットではデータ不足のタイヤです。
「それまでの全日本で履いていたのは、いわば日本製ダンロップ。moto2タイヤは海外製のダンロップなので、まったく特性が違うんです。えーと、誤解を恐れずに言えばカチカチでぜんぜんグリップしない(笑)。ただ、これがmoto2タイヤだと思って練習してきました」

画像: シャシー、タイヤと全日本で使い慣れた環境に近い状態で走ることができる榎戸

シャシー、タイヤと全日本で使い慣れた環境に近い状態で走ることができる榎戸

走行初日の金曜は雨。フリー走行1回目(=FP1)では、榎戸が33人中18番手、水野が28番手。初の車体、初ダンロップの水野に、さらに初の雨、という試練が加わって、水野はセッション中に転倒。この日は、午後のFP2でも転倒してしまいます。榎戸は、全日本で使用するJ-GP2車とmoto2車の違いに戸惑いながら、いつものようにまわりがひやひやするような豪快な走りでセッションを終了。
「moto2のワンメイクエンジンは、全日本車よりパワーがあって、高回転型ですね。2ストみたいに、上がグーンと伸びる! こういうエンジン、ぼく大好きです」と榎田。
榎戸はFP2で26番手、水野は転倒もあって30番手。榎戸は、FP2でカメラを構える僕の目の前で、雨男ことハフィズ・シャリーンにグリップエンドをヒットされ、あわや転倒というシーンがありました。
――シャリーンに当てられてたね。
「危なかったですよ! やり返そうと思ったら置いていかれちゃった。それより、ルティ速かったですねぇ! ルティ、ぼく大好きなんですよ」 なんてヤツ! レギュラーに寄せられて、やり返そうとしたか! 初挑戦の世界の場を、楽しんじゃってるw 

画像: 雨の走行が続いた日本GP 榎戸は「速いライダーとの差が詰まる」とチャンスと捉えました

雨の走行が続いた日本GP 榎戸は「速いライダーとの差が詰まる」とチャンスと捉えました

画像: 初めてのフレーム、初めてのタイヤ、そして雨 水野には2重3重の試練が襲い掛かりました

初めてのフレーム、初めてのタイヤ、そして雨 水野には2重3重の試練が襲い掛かりました

土曜日も雨の降りやまないもてぎ。FP3では、榎戸が再び18番手まで順位を伸ばし、水野は転倒で初日に走り込めなかったこともあって32番手に沈んでしまう。そして、雨が上がり、徐々に路面が乾いていった公式予選では、水野が23番手、榎戸は25番手。やはりドライ路面となると、水野のスピードが伸びる。水野は一時トップ10にも迫ろうかという勢いでマシンを仕上げつつありました。

画像: スタートシーン インに入っていった水野とアウトからまくった榎戸 雨の1コーナー、外へ行くにはものすごい勇気がいるのです

スタートシーン インに入っていった水野とアウトからまくった榎戸 雨の1コーナー、外へ行くにはものすごい勇気がいるのです

決勝日は、やはり雨。ほぼドライでタイム出しできた公式予選の走りが、またもフイになります。決勝レースでは、8列目スタートの水野がまずまずのスタートを切ったのに対し、榎戸は1コーナーで思い切り奥まで突っ込んで、大外を回って10人抜き! これが勝負を決めました。
1周目を終わっての順位は、水野が26番手、榎戸が15番手。前を走るライダーの巻き上げる水煙で視界の効かない雨のレースでは、最初のポジション取りが重要。スタートした33台は、何台かの転倒者を出しながら、いくつかの集団と単独走行に分かれ、榎戸は中団のグループに、水野は後方の集団に紛れてしまいます。6周目あたりには、榎戸が16番手、水野が18番手まで接近しますが、水野は遅い集団にのまれ、ポジションを上げられない。榎戸はレミー・ガードナーを捉える距離まで接近し、ターラン・マッケンジーを引き離す。お、榎戸は2世ライダーにはさまれてたのか(笑)。

画像: 水野、ドライで思い切り走らせてみたかった

水野、ドライで思い切り走らせてみたかった

結果、榎戸は堂々14位でフィニッシュ! 水野は苦戦しながらも、最後まで走り切って22位。榎戸は、初参戦の世界グランプリレースで14位となり2ポイントを獲得、水野はノーポイントに終わりましたが、ふたりのワイルドカードライダーにとって、順位はさほど問題じゃないかもしれません。目指す世界のスタートラインに立った――それが事実でしょう。

画像: 榎戸、物怖じしない性格は、世界へ放り出しても面白い

榎戸、物怖じしない性格は、世界へ放り出しても面白い

「レース中、単独で走ることになってしまいました。ひとりでも、レギュラーライダーと走りたかったし、なにか勉強して帰りたかったんですが、なにもできなかったのが悔しい」と水野。
「様子見とか、序盤はペースを見ながら、っていうのを一切無視して、スタートから全力で行きました。1コーナーは、みんながインに詰まるだろうから大外から。オーバーランしそうでしたが、それがうまくいった。それがすべてです」と榎戸。
――世界の舞台で戦いたい。そう言うのは簡単です。そして、90年代ごろまでは、日本で頑張ってメーカーに認めてもらってワークス入りし、そのレールに乗って世界の舞台へ行くことができました。しかし、今は違います。日本で頑張って、というルートはほぼないに等しく、世界の舞台で戦いたければ、ジュニア世代からタレントカップやルーキーズカップ参戦オーディションを目指し、moto3から世界へ、というルートが一般的となりました。
水野と榎戸は、そこを覆してくれるかもしれません。全日本で結果を出して、ワイルドカードで結果を出して、世界へ飛び出していく――そんな「ムカシのルート」を掘り起こしてくれるかもしれないのです。

そして、このふたりには共通点があります。ふたりとも、故・加藤大治郎さんがスタートさせたスーパーポケバイ、74Daijiro/Daijiroカップの卒業生なのです。大ちゃん、きみが夢見た、ポケバイから世界GPへ、っていう世界を実現してくれそうな若いのが出てきたぞ――。

写真/後藤 純 Photos/Jun GOTO

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