画像: DAKAR 2017 〜風間親子の挑戦〜 【後編】

サハラの大砂丘からアンデスの高地へ

「メルズーガは、バハともまた違った経験でしたね。コマ図、GPSを使う練習もできたし、走ったのはサハラ砂漠! 砂丘は、バハにもなかったから、走ったこともないし(笑)、4輪も走れないほどの丘陵を越えるから、バイクオンリーのラリーなんです。岩場もあるし、硬質路面もあるし、それでも、なんとかうまくこなすことができて、ダカールへ向かうことになるんです」バハの見渡す限りの荒野、そしてメルズーガの大砂丘。コマ図の見方、GPSの使い方、ラリー的な走り方、長時間走行のペース配分、それに長時間走行が続く毎日の体調管理を学んで、晋之介はいよいよ17年1月2日、ダカールラリーのスタート地点に立つ。この頃には、すっかりラリーの魅力に取りつかれていた。「ラリーは、もちろんレースなんですけど、毎日勝負しながらの『旅』なんですよね。バハのサボテンの森とか、モロッコの見渡す限りの砂丘っていう大自然の中を、大好きなバイクで1日500km走り続けるんです。もちろん疲れますけど、毎日ずっと楽しい! 飽きるどころか、飽きる理由が見つからない」

画像: 晋之介のマシンはヤマハYZ450F改。3年ほど前のフランスヤマハのファクトリースペック同等のマシンだが、セルがなく、キック始動だったのがつらかった! マシンはノントラブル、メカニックが一度、ピストン交換をしてくれていた。

晋之介のマシンはヤマハYZ450F改。3年ほど前のフランスヤマハのファクトリースペック同等のマシンだが、セルがなく、キック始動だったのがつらかった! マシンはノントラブル、メカニックが一度、ピストン交換をしてくれていた。

そして晋之介は、旅の続き・ダカールラリーに臨むことになる。開催39回目を迎える17年大会は、パラグアイを出発してアルゼンチンに入り、ボリビアを経由して、またアルゼンチンでゴールする9000kmを巡る旅。かつてのパリダカがサハラ砂漠との戦いなら、現在のダカールはアンデス山脈との戦いだ。「初日はSS(スペシャルステージ=競技区間)が40 km、2日目が300km弱、この辺までは、もちろん簡単じゃないけど、予想できていたようなオフロードでした。コースは平気だったんですが、泥、ホコリ、そして灼熱が大敵でしたね。ゆっくり走ったら素晴らしく楽しいオフロードツーリングですよ(笑)。でもここで、マシンのセッティングとか、ダカールの走り方を学ばなくちゃならない。今から考えたら、この2日目までが平和だったというか、3日目からが本番だったんですね」3日目、アルゼンチンから北へ、ボリビアを目指す。ルートは、いよいよアンデス山脈に突入。3日目の最高標高は4895m、気温はスタート地点の36℃から5℃へ! いよいよ「世界一過酷なスポーツ」といわれるラリーが、その過酷な本性をむき出しにしようとしていた。

画像: ダカールは、コースサイドに現地の人が応援に来てくれているのが感動したという。大都市のビバーク地では、軽く見積もって10万、20万の観客が詰めかけた。

ダカールは、コースサイドに現地の人が応援に来てくれているのが感動したという。大都市のビバーク地では、軽く見積もって10万、20万の観客が詰めかけた。

走っている時はシンドかったけどいま思い返せば幸せな2週間でした

ルートは、3日目から10日目まで標高の高い山岳地帯で、基本的に、標高はずっと4000m級。雨続きで、5日目は豪雨でSSが短縮され、6日目と9日目は豪雨が続き、ステージはキャンセルされた「実は5日目も、SSを走り終わって移動区間があと170kmくらいのところで『コース変更されたよ』って聞かされて(笑)。追加で350kmくらい走ったビバーク地では、参加者もオフィシャルもぜんぜん到着してなくて、あれ? 到着してないライダーはみんな失格、オレ上位入賞になるんじゃないの? と思ったんですが、救済措置で(笑)。なんだよー、とも思いましたけど、みんな次のビバーク地に着いたのを見たら、あぁよかった、みんな無事だ、って思える自分もいました」この頃、晋之介はダカールラリーの主催者に怒っていた。自然災害は仕方ないとはいえ、難しいルート設定、GPSではわかりにくいナビゲーション、ミスコースもあったし、数えきれないほど転倒もした。

画像: 夢のフィニッシャーズメダルを受け取る晋之介。完走しても、賞金もない、あるのはメダルと名誉だけ。南米のダカールラリー、日本人2人目の完走者だ。

夢のフィニッシャーズメダルを受け取る晋之介。完走しても、賞金もない、あるのはメダルと名誉だけ。南米のダカールラリー、日本人2人目の完走者だ。

SNSやブログなどで応援してもらうとダイレクトに感じられて、すごく心強いです

「クッソー、こんなコース設定しやがって、ですよ(笑)。でも、その分、僕は燃えましたね! それならやってやろうじゃないか、って怒りがヤル気に変わってました」ラスト2日は、アンデスを降りて、再び平地に戻る。また、あの灼熱地獄だ。ずっと雨が降っていた気温ひとケタの高度3500mから、真夏のアルゼンチンへ。しかし、この頃の晋之介の走りは絶好調で、オフロードラリーを満喫していたのだ。「コース設定のクセもわかってきたし、マシンに慣れてきたのが大きいですね。今回のダカールは、とにかく完走して未来につなげる、がテーマでしたから、前半は慎重に慎重に。それが、終盤はステージ順位40位なんて日もあって、もちろん体力的にはキツいんですが、心が折れるほどじゃなかった。最後の方は、ラリーが終わるのが寂しかった」最終日、スタートから70 kmほどがSSで、それ以降はフィニッシュ地点までの700kmの移動区間。この頃にはもう、晋之介の心は新しい方向へ飛んでしまっていた。

画像: 帰国報告会に集まってくれた、晋之介ファン、そしてサポーターのみなさん。出発前にクラウドファンディングを行なったが、予定額を越える約350万円が集まったという。「クラウドファンディングは、ダイレクトに応援してもらえているのを感じられて、すごく心強かった」と晋之介は言う。

帰国報告会に集まってくれた、晋之介ファン、そしてサポーターのみなさん。出発前にクラウドファンディングを行なったが、予定額を越える約350万円が集まったという。「クラウドファンディングは、ダイレクトに応援してもらえているのを感じられて、すごく心強かった」と晋之介は言う。

「出場準備をしている頃とか、走っている最中は、苦しくて苦しくて、なんでこんなことしてるんだろう、ってずっと思ってました。でも、最終日は『終わっちゃった……』って寂しくて言ってるんです。今はもう、もう1回出たいし、今度は順位を狙っていきたい。終盤のペースを最初からできていれば、順位はもっと上がるし、もっと楽に走れたはず。ラリーって面白いです、楽しいです!」出場143台中完走96台、晋之介は67位で走り切った。3日目にはミスコースで通過ポイントを通らず、3時間のペナルティもあった。けれど順位よりも、9000kmの旅を無事に走り切ったことが大きい、初のダカールラリーだった。「僕が出ていたパリダカから今のダカールは、冒険の要素が競技になって、個人の戦いはチーム戦になりましたね。でも、大自然に挑んで、これをオートバイで走るっていう冒険の精神はなにも変らない。見ててください、晋之介はきっとまた出たいって言うよ(笑)。サポートについてたオレも出たくなっちゃったな」父であり、冒険の大先輩は、そうやってニカッと笑うのだった。

画像: 風間晋之介 profile 現在の肩書きは、ライダー、俳優。出演作品は、沖縄映画祭に出展予定のGACKTさん主演「カーラヌカン」 1984年東京都生まれ

風間晋之介 profile
現在の肩書きは、ライダー、俳優。出演作品は、沖縄映画祭に出展予定のGACKTさん主演「カーラヌカン」 1984年東京都生まれ

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