悲願のデイトナ優勝を勝ち取った空冷CBの金字塔

ホンダの市販車レースとのかかわりは、1970年代中盤のヨーロッパ耐久選手権。CB750FOURベースのRCB1000で連戦連勝し「無敵艦隊」とも「不沈艦隊」とも呼ばれ、クラスをリードしていく。

そして、並列4気筒の第2世代「F」シリーズをデビューさせると、耐久レーサーはRS1000へと進化し、世界耐久への参戦を継続する一方、その1000㏄エンジンをベースとしたマシンでAMAにも参戦をスタートする。当時、世界最大のマーケットはアメリカで、AMAでの活躍は、そのままアメリカでの販売、すなわち世界での販売につながっていたのだ。

ホンダとしてのAMA本格参戦は80年から。当初は耐久レーサーベースだったため、戦績は振るわず。翌81年には本格スプリント仕様を製作。フレディ・スペンサーが3勝を挙げるものの、4勝を挙げたカワサキのエディ・ローソンにタイトルをさらわれてしまう。結果的にホンダのAMAスーパーバイクタイトルは84年までおあずけとなる。

しかし、翌82年には、AMAシリーズはもちろん、中でもビッグイベントであるデイトナ100マイルの必勝を期して、AMAレーサーをフルモデルチェンジ。そのうちの1台が写真のゼッケン19、スペンサー車だ。

CB900Fをベースにエンジンを1023・1㏄に拡大し、ファクトリーマシンにふさわしいチューニングを徹底。カワサキやスズキ同様、GPマシンのテクノロジーやパーツも流用されていて、このスペンサーCBにもフロント16インチホイール、ショーワ製NS500用フォークが使用されている。

スペンサーはこのCBで念願のデイトナ100マイル優勝を果たし、以降、83年から85年はVF750Fインターセプターで優勝。つまり82年から念願だったデイトナを4連覇してしまうことになる。

このスタイルのCBは80年代後半の絶版車カスタムブームの頃に日本で改めて広まり、Z1000Rローソンレプリカ、GS1000Sクーリーレプリカとともに絶大な人気となる。ヤマハはFZ750ローソンレプリカが、このライバルにあたるだろうか。

のちに、このアメリカ仕様のCB750純正カラーは「スペンサーカラー」と呼ばれ、後年の市販車にも採用された。近年には実際にスペンサーが乗った実車も日本に輸入された。上の写真の車両がそれである。

画像: ベースマシンがCB900Fでないのは、当時アメリカも日本と同様にCB750Fしか販売されていなかったから。一見ノーマルな部分が多く見えるが、あらゆる所に徹底的に手が加えられている。

ベースマシンがCB900Fでないのは、当時アメリカも日本と同様にCB750Fしか販売されていなかったから。一見ノーマルな部分が多く見えるが、あらゆる所に徹底的に手が加えられている。

画像: エンジンや足周りがフルチューンなのに外観がノーマル風のネイキッドスタイルなのは、AMAスーパーバイクのレギュレーションのため。何と78年まではマフラーも外見上はノーマルでなければならなかった。

エンジンや足周りがフルチューンなのに外観がノーマル風のネイキッドスタイルなのは、AMAスーパーバイクのレギュレーションのため。何と78年まではマフラーも外見上はノーマルでなければならなかった。

画像: フレームも市販車のものを補強して使うこととされていた。しかし強力なエンジンで超高速のデイトナを走るには剛性不足だったため、形状はノーマルのままだが強度の高いパイプで作り直されたものをトップチームは使っていた。

フレームも市販車のものを補強して使うこととされていた。しかし強力なエンジンで超高速のデイトナを走るには剛性不足だったため、形状はノーマルのままだが強度の高いパイプで作り直されたものをトップチームは使っていた。

画像: 1982年デイトナ100マイルでのスペンサーはポールから独走で優勝。2位のボールドウィン、3位ピエトリで、CBの1-2-3フィニッシュを達成。

1982年デイトナ100マイルでのスペンサーはポールから独走で優勝。2位のボールドウィン、3位ピエトリで、CBの1-2-3フィニッシュを達成。

画像: 【フレディ・スペンサー】 1961年・アメリカ・ルイジアナ州生まれ 4歳からダートトラックレースに親しみ、16歳から本格的にロードレースをスタートしたフレディ・スペンサー。80年にはスーパーバイクにデビューし、当初はドゥカティ、カワサキに乗るが、81年にアメリカホンダと契約、AMAへの参戦と同時にWGPにもエントリーを開始し、いよいよ世界進出。そして83年には、21歳でアメリカンライダーの先駆、ケニー・ロバーツとの激闘を制して初チャンピオンを獲得し、当時の史上最年少記録をマーク。さらに85年にはWGP史上で初めて、GP250/500のダブルタイトルを獲得。この記録は、今もって破られていない。晩年は負傷の影響で第一線には戻れなかったが、放った光は強かった。記憶にも記録にも残るライダーだ。

【フレディ・スペンサー】
1961年・アメリカ・ルイジアナ州生まれ
 
4歳からダートトラックレースに親しみ、16歳から本格的にロードレースをスタートしたフレディ・スペンサー。80年にはスーパーバイクにデビューし、当初はドゥカティ、カワサキに乗るが、81年にアメリカホンダと契約、AMAへの参戦と同時にWGPにもエントリーを開始し、いよいよ世界進出。そして83年には、21歳でアメリカンライダーの先駆、ケニー・ロバーツとの激闘を制して初チャンピオンを獲得し、当時の史上最年少記録をマーク。さらに85年にはWGP史上で初めて、GP250/500のダブルタイトルを獲得。この記録は、今もって破られていない。晩年は負傷の影響で第一線には戻れなかったが、放った光は強かった。記憶にも記録にも残るライダーだ。

ベースはこのマシン! HONDA CB750F(1979年)

エンジンのベースはCB900Fだが、アメリカでは市販されたモデルが750Fだったこともあって、レーサーのサイドカバーには「750F」のものが付いていた。輸出車としてCB900Fがデビューした翌年の1979年に国内でもフラッグシップモデルとして発売され、一躍大ヒットモデルとなる。

画像: HONDA CB750F(1979年) ●空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒●748cc●68PS/9000rpm●5.9kg-m/8000rpm●228kg(乾燥)●−●20L●3.25-19・4.00-18■53万8000円(当時)

HONDA CB750F(1979年)
●空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒●748cc●68PS/9000rpm●5.9kg-m/8000rpm●228kg(乾燥)●−●20L●3.25-19・4.00-18■53万8000円(当時)

80’sレーシングレジェンドたちが駆った名車は、オートバイ9月号に大量収録!

オートバイ 2017年9月号 [雑誌]

モーターマガジン社 (2017-08-01)
コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.